カモミール
「部屋案内するよ」

 階段を上って左側の廊下を挟んで部屋が2部屋ずつあり、私はその右奥の部屋に通された。6帖の洋室で、ベッド、机、椅子、クローゼットやエアコンまでも備え付けられていた。

「向かいが俺の部屋ね。ダイニングと風呂トイレはこっち」

 反対側の廊下を進むと、右側にトイレと洗面室があり、そこに洗濯機が置いてある。その隣の部屋が浴室、そして突き当たりが広いダイニングルームになっていた。

「風呂、トイレ、洗濯機、ダイニングは共有で申し訳ないが」

「いえ、十分です」

「家にあるもの好きに使っていいよ。風呂沸かすから入りな。俺は店の掃除が残ってるから」

「ありがとうございます」

 階下に下りていく真崎さんの背中を見送り、私は自室に戻った。10分程度で風呂が沸いたので入ることにした。雨のせいで凍えていた身体が芯から温まる。浴室の鏡を見ると、真っ赤に目を腫らして疲労感をまとった30間近の女がそこにいた。

 入浴後、洗面所で髪を乾かしてから部屋に戻り、ベッドに寝転がった。失恋して同棲していたアパートを追い出され、たまたま立ち寄った喫茶店に下宿することになるなんて、おかしな話だと白い天井を見ながら思った。「同棲」でもなく、「同居」でもなく、「下宿」という響きが気負い過ぎなくていい。

 まだ寝るつもりはなかったが、いつの間にかうとうとし始めていたとき、コンコンコン、とドアをノックする音が聞こえて目が覚めた。ドアを開けるとそこに真崎さんが立っていた。

「これが裏口の合鍵、これが部屋の鍵。渡しとくな」

「どうも」

 チャリンと私の手にふたつの鍵を落とした。

「それと、朝7時から店やってるから、朝飯食ってから仕事行きな」

「はい。そうします」

「もう寝るよな」

「はい」

「おやすみ」

「おやすみなさい」

 ベッドに入ると知らない家の匂いがした。慣れないシーツの肌触りと枕の感触。涙はすっかり乾いていたが、これからの生活にいささか不安を感じながら眠りについた。
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