カタストロフィ
再び水中に潜り、今度はしっかりダニエルを抱える。
クリノリンをつけていなくとも、夏用の軽い生地のドレスであっても、本来なら泳ぐのは困難な格好だ。
いくらユーニスが泳ぎに慣れていても、人より頑丈な体を持っていても、水を吸った衣類の重さに体力はジワジワと奪われていく。
(先に私が岸辺にあがって、それからダニエル様を引っ張った方が良さそう)
とうとう日が沈み、夜が訪れた。
這う這うの体で岸辺にたどり着くと、ユーニスはダニエルの腕に結んであったリボンを橋に括り付けた。
そしてダニエルから手を離し、一気に自分の体を引き上げる。
「いっ!」
ふくらはぎに走る強烈な痛みに一瞬涙が出そうになるが、気にせずユーニスはダニエルを引っ張った。
脇の下に手を通し、一気に池から引き抜く。
ユーニスに引き上げられている最中に何度か咳込み、水を吐き出すも、ダニエルは妙に静かだ。
よく見ると、月明かりの下でもわかるくらい、彼の頬は真っ赤に染まっていた。
それに、池の生臭さに負けないほどきついアルコールの匂いがする。
「この匂い、もしかしてジン?」
ユーニスはこの匂いに覚えがあった。
思い出したくもない幼少期、両親を亡くして母方の親族に引き取られた時、伯父はよくジンを飲んでいたのだ。
「なぜ庶民が飲むような安酒を……」
ダニエルのジャケットとベストを脱がせながら、ユーニスはある事に気づいた。
そういえば、ユーニスが助けに飛び込んでから一度も、ダニエルは反応していない。
もし間違って池に落ちたのなら、助けに来たユーニスに縋りつくだろう。
しかし、彼は酒を飲んだ上で、しっかりとした足取りで池に飛び込んだ。
(まさか、自殺しようとして……)
こんな小さな子供が、などとはユーニスは思わなかった。
出会った時から、彼は異様に張り詰めた空気を纏っていたのだ。
(私が追いつめたのかもしれない。昼間、大人気なくやり合った結果こうなってしまったのなら、私はもうこの仕事をしてはいけない)
首元を楽にしようとリボンを解き、水を吸ったブラウスを脱がせていた手が、勝手に止まった。
第二ボタンより下に隠されたダニエルの肌には、無数の傷があったのだ。
白く滑らかな肌に残るグロテスクな古傷は、明らかに鞭で作られたものである。
「なんて酷いことを……」
この傷が作られた頃のダニエルは、今よりさらに幼かったはずだ。
彼の性格を考えれば、もしかしたらその時からませた子供だったかもしれない。
しかし、それでも幼い子供にこんな風に鞭打つ者の気持ちはユーニスにはわからない。
(今より幼い頃……待って、もしかして、ダニエル様が女家庭教師を憎む理由って……)
虐待を受けていたのかもしれない。
ほとんど確信を持ったその時、ユーニスの背筋は凍りついた。