カタストロフィ
7月も半ばを過ぎ、ユーニスの足がすっかり治ったある日曜日のこと、ダニエルは朝早くからユーニスの部屋の戸を叩いた。
「珍しいわね、こんな朝早くに」
「ユーニス、街の貸本屋に行こう!モンテ・クリスト伯がとうとう入荷されたんだ!」
興奮に目を輝かせ、頬を紅潮させるダニエルはまさしく天使のようである。
そのイキイキとした笑顔につられ、ユーニスは笑みをこぼした。
「貸本屋なんて久しぶり!いいわ。ところで貴方、フランス語は読めるの?」
「……英語に翻訳されている方を借りるから問題ない」
「その様子だとほとんど勉強してないみたいね」
決まりが悪そうに目を逸らすダニエルに、ユーニスはため息をついた。
「ダニエル、きちんと勉強すればフランス語なんて簡単よ?語彙の半分は英語と同じスペルだし、なんなら読み方まで一緒のものがけっこうあるわ。動詞の変化が多いのが面倒くさいところだけど、それだって慣れたら芋づる式に他の言語習得に繋がるのよ。とにかく、やってみたら意外と出来るものよ」
多少誇張気味ではあるものの、どれもユーニス自身が体感したことであるため、言葉には熱がこもっていた。
だが、あまり語学に興味はないのか、ダニエルの反応は鈍い。
「それはどうかなぁ。11歳になっても一つも外国語を習得していないんだよ?僕の脳みその小ささを甘くみないで欲しいよ」
「まともな教育を何年も受けてこなかったんだから、出来ないのは当然。問題は貴方の脳みそのサイズじゃなくってやる気よ。そうだわ、こうしましょう!モンテ・クリスト伯を英語、フランス語両方で借りるの」
「両方?」
「始めに英語版を読んでから、フランス語版にチャレンジしてみるのよ!文法は私が教えるし、わからない語彙もその都度教えていくわ。デュマの作品はどれもお気に入りでしょう?原文で読んでみたいと思わない?」
畳み掛けるようにそう言うと、ダニエルは顎に手を当てて考え出した。
基本的に頑固な彼の事だ。
やっぱり英語版だけで良いと突っぱねる可能性もじゅうぶんある。
勉強する流れを作れたら儲け物、くらいに考えていたユーニスだが、いざダニエルが同意すると心の底から喜んだ。
「言っとくけど、僕êtreとavoirの現在形くらいしかわからないからね。本当に全部手伝ってよ」
「あら、それだけわかってるならけっこうよ。
大丈夫、来月の今頃にはスラスラ読み書き出来るようになっているわ」
この家に来てからおよそ一ヶ月、ヴァイオリンやピアノ、絵などはさりげなく指導して来たが、勉強に関してはまだ何もしていなかったのだ。
思わぬところにきっかけがあったのが嬉しくて、ユーニスは上機嫌になった。