カタストロフィ
6月1日正午、ユーニスはシェフィールド伯爵家の敷居を跨いだ。
充てがわれた自室までの先導は、伯爵付きの小姓アンドリューが務めている。
「奥様は体の弱い方で、しょっちゅう熱を出されては寝込むんです」
「まあ、今年は寒さが厳しくて冬が長かったから大変だったのでは?」
「ほとんど寝たきりでしたよ。長男のレイモンド様と次男のマーカス様はお二人とも健康そのものですが、三男のダニエル様は奥様の血が濃いのか、よく体調を崩されます」
「レイモンド様が23歳、マーカス様が21歳、ダニエル様が11歳だったかしら?お兄様方とだいぶ歳が離れていらっしゃるわね。これから成長期なのだし、工夫と努力で多少は丈夫なお体になりますわ」
「……そうですね」
ユーニスもどうせすぐに辞めると踏んでいるのか、それなりに長く続いていた雑談は、アンドリューの曖昧な笑顔で締めくくられた。
(なんだかなぁ……。そもそも、なぜダニエル様が人間嫌いになったのか、誰も把握していないっていうのが変よね)
シェフィールド家の使用人の数はそんなに多くはない。
むしろ、一般的な貴族にしては少ない方だ。
ならば何か異変があった場合にはすぐに情報が出回ると思うのだが、ダニエルの人間不信に関しては〝いつの間にかそうなっていた〟と屋敷中の人間が口を揃えて言っている。
さて、どこを取っ掛かりにするべきか。
「ミス・フレッチャー、ここが貴女の部屋です」
いつの間にか自室に着いていたらしく、アンドリューが恭しくドアを開けた。
ユーニスの視界に飛び込んできたのは、メイド長や執事、家令にも引けを取らないほど居心地の良さそうな部屋である。
装飾はほとんど無いが天蓋つきのベッドに文机、ダイニングテーブルと椅子が四脚、本棚と衣装箪笥が二つずつある。
どの家具も中古品ではあるが、よく手入れされていた。
「12時30分にはダニエル様の昼食が終わります」
「そうですか。では13時から授業にしましょう。子供部屋まで伺えばよろしいのかしら?」
「いえ、授業は図書室でお願いいたします。何か軽い食事を運ばせますので、しばらくここでお待ちください。時間が近づいたら私が図書室までご案内いたします」
「ありがとう存じます。よろしくお願いいたします」
アンドリューが退室するなり、ユーニスは既に運び込まれていた荷物を素早く解いた。
あまり時間は残されていないのだ。
(先月、ミスター・アルマンとミセス・グリーンヒルに話しを伺っておいて良かったわ。おそらく、今日はまともな授業は出来ない)
これまでダニエルが女家庭教師に対してやってきた嫌がらせの数々を調査し、ユーニスは今日まで対策を考えてきた。
数多ある嫌がらせの一つに、赴任してきたばかりの教師の食事に下剤を盛って部屋から出られなくしたというものがある。
「食事なんてビスケット程度で十分よ」
一昨日大量に作っておいたジンジャービスケットをいくつかつまみ、薄手の外套を羽織る。
アンドリューが戻ってくるのを待たず、ユーニスは屋敷の中へ突き進んだ。
植物を愛するシェフィールド夫人の趣味が全開のこの屋敷は、至るところに花が咲いている。
珍しい花が多いため、初めて来る人間には良い目印になる。
(多分この辺りに図書室があると思うのだけれど……)
カントリーハウスはどこも似たような作りだ。
過去に勤めていた家の間取りを思い出し、直感で歩き続けていたユーニスだが、当てが外れて広大な中庭に出てしまった。
唐突に視界に広がるイングリッシュガーデンに驚き、ユーニスは足を止めた。
燦々と降り注ぐ陽光を受け、柔らかく輝く緑を眺めているうちに、少しだけ寄り道をしていきたい気分になる。