カタストロフィ
「坊っちゃま!」
よく通る声にはっきりと喜色を滲ませ、一人の年若いメイドが駆けてきた。
仕事をサボっているのを見られたら困るのは彼女なのに、まったく危機感が無い。
呼び出したダニエルの方が、辺りに人がいないか気になって仕方がなかった。
「アン、声が大きい。それよりこれ、借りてた本」
「おお、今回はまた早く読み終わりましたね」
特定の使用人と親しくすることはなかったダニエルだが、ここ数日厨房勤めのメイドのアンと交流を持つようになっていた。
アンはサボり魔であり、よく掃除や片付けを抜け出しては読書に耽っていた。
好きなジャンルは恋愛もので、いつかはドラマチックな恋愛をしたいとよく語っている。
最近恋愛小説にハマっているダニエルとしてはアンの率直なレビューはありがたいものである。
「それで、どうでした?」
早く感想を聞きたいと言わんばかりのキラキラした目で顔を覗き込むアンに、ダニエルは神妙に頷いた。
「泣いた。ロマンス小説ってもっと質が低いものかと思っていたけど、想像以上に面白かった」
簡潔に、力強く応え、表紙のタイトルに視線を落とす。
身分の高い者ならまず読むことは無いであろうロマンス小説というジャンルに触れて、ダニエルはひっそりと興奮していた。
恋愛が主体の通俗的な物語は、仕事に明け暮れるメイドや庶民が読むものである。
その為、玉の輿やシンデレラストーリーといった王道の流れがあり、面白みに欠けると言われがちだ。
(でもそれって誰が言ってたんだっけ……ブルスキーノか?ハワードか?)
執事と家令の顔を思い出し、少しゲンナリした気分になる。
どちらも言いそうなことではあるし、確かに巷にはありきたりな設定のロマンス小説が溢れているのだろう。
だがそれは他のジャンルにも言える事だ。
「坊っちゃまの好みの傾向としては、身分差のある男女が障害を乗り越えて結ばれる王道系ですからね。ロマンス小説のお得意分野ですもの、良い物がたくさん見つかりますわ!あ、でも最近は〝椿の花を持つ貴婦人〟みたいな悲恋もお好きなんでしたっけ?」
「やめろ冷静に分析するな。すごく恥ずかしいから。それと、その本は確かに良かった。これから娼婦を見る目が変わりそうだ」
「娼婦のみんながみんなあんな劇的な恋をしているとは思いませんが……っていうか、やっぱり好きですね、身分差がある恋」
「うるさい」
なぜ身分差がテーマのものばかり読んでしまうのか、ダニエルははっきりと理由を自覚していた。
小説の登場人物に、自分とユーニスを重ね合わせているのだ。
こんな風に熱く、激しく求め合えたらどんなに良いか。
〝椿の花を持つ貴婦人〟のような悲恋を読む時は、我が事のようにハラハラし、もどかしさに涙した。
そんな自分を女々しいと自己嫌悪したのは最初だけで、ダニエルはもう開き直っていた。
それほどまでに、ユーニスに対して深い気持ちを抱いてしまったのだ。