カタストロフィ
「貴方に教えなければいけない事は数えきれないほどあるけれど、まずは可及的速やかに覚えなければならない事を教えましょう。一つ目、私の事はフレッチャー先生とお呼びなさい。二つ目、貴方は私に教えを請う側なのだから私に敬意を払いなさい。なんですか、その汚らしい言葉遣いは。三つ目、初対面の女性を侮辱するような真似はおやめなさい。人として恥ずべき事ですよ」
ユーニスの言葉が届いているのかいないのか、ダニエルはまだ呆然としていた。
「貴方が大人、特に女家庭教師に対して不信感を抱いていることは、旦那様より聞き及んでおります。過去に何があってそうなったのかはわかりませんが、私には関係ありませんわ」
あえてきつい表現で言い捨てれば、わかりやすくダニエルは動揺した。
「なんだと……?」
「私の仕事は、貴方をパブリックスクールに入学しても困らない程度の学力まで引き上げる事。ただそれだけですもの」
パブリックスクールという単語に、ダニエルは顔を勢いよく上げた。
「僕は絶対そんなところには行かない!」
アクアマリンのような瞳に怒りを灯し、なおも彼は激しく言い募る。
「あんな体裁だけ繕ったようなところに誰が行くもんか!!お前がどれだけ努力したって無駄だからな!僕は決してお前の授業なんか受けない!」
どこまでも張り詰めた叫び声に、思わずユーニスは静止した。
恐怖と怒りがないまぜになったような顔をグシャグシャに歪めると、ダニエルはその場からヴァイオリンを抱えて走り出した。
迷路に消えていく小さな背中を見送りながら、たった今投げられた言葉について反芻する。
(まるでパブリックスクールがどんな場所か知っているかのような口振りだったわ。確かに体裁を取り繕っている場面もあるにはあるけれど、あそこへ行くのは貴族なら当然のこと。一体なぜあんな反応を……)
当然、今浮かんだ疑問に対する答えなどすぐには出ない。
しかし、ダニエルを知るための情報は一つ手に入った。
(勉強に対する忌避感は口にしなかった。ということは、おそらく彼の嫌悪感はパブリックスクールに向いている。彼の周りにいる誰かが、パブリックスクールで何かあったのかしら?お兄様方や従兄弟や付き合いのあるお家の御令息とか……)
なぜパブリックスクールに通いたくないのか、なぜ人を嫌うのか、すべてダニエル本人の口から聞けたらそれが一番である。
そう簡単にはいかないのはわかっているが、ユーニスはまだダニエルから心の声を引き出せると踏んでいた。
「無駄なんかじゃないわ。必ず机に向かわせてみせる」