シンガポール・スリング

リムジンは歴史的建造物でもあるシンガポール国立博物館の横を通って、そのままスタンフォードロードをまっすぐ北に少し行った先、オーチャード通りにあるコンクリートの打ちっぱなしの建物の前で止まった。

「未希子さん。さ、行きましょ」

優美はぐいぐいと未希子の腕を引っ張り、建物の中へと入って行った。そこは小さなショップがひしめくデザイナーたちのショウケースの場のような所だった。洋服、アクセサリー、バッグなど所狭しと展示してあり、ポップなものからエレガントなデザインまで様々だが、意外と均等が取れていて、圧迫感がない。その一角にシルクの服を扱っているショップがあった。

「ここよ。もう私の服はオーダーしてあるからいいんだけど、未希子さんに似合う服があるかしら」

「他とは違ってかなり高級に見えるんですが」

「そりゃシルクですもの。でも肌触りが本当にいいのよ。身内をひいきするわけじゃないけど、私、このブランドのデザインが好きなのよ」

「親戚の方、なんですよね?」

「厳密に言うと、いとこなの。服飾デザイナーでね。東南アジアで活動してるんだけど、センスはいいのよ」

確かに見渡すと、どの服もエレガントで素材の良さを十分に熟知したデザインとなっている。その中でも一点、白を基調としてシンガポール国花のランがブルーグレーでデザインされているドレスが未希子の目を引いた。

「きれい・・・」

思わずそう言って、生地に触れてみると、さらっと指をすり抜けていった。

「その服、素敵ね。試着してみたらどう?」

そう言われそっと襟の所を見たが値札がない。

「一応言うけど、値段は気にしないでちょうだい。私のと一緒に買うんだから」

優美は未希子にそのドレスを手渡し、近くの店員に試着室に連れていくよう伝えた。未希子は試着したからって買う必要はないんだし、こういう時にしかシルクの服なんて着れないしなどと自分に言い訳しながら試着室のドアを閉めた。肌に直接感じるシルクの感触は言葉では言い表せないほどしなやかで、くるっと鏡の前でターンしてみたが、すっと肌に吸い付くような感覚だった。
優美に感想を聞こうとそっと試着室から出てみると、彼女は試着室を背にして電話をしていた。

「サマー・パビリオンよ。・・・・12時だって忘れていないでしょうね・・・・・・ええ・・・・そうよ」

少し間を置いた後、いらだった声で優美は答えた。

「あなたの父親はもうあなたの身勝手さにあきれてしまって、お手上げ状態なのよ。・・・・もちろん行くわ。だって今ちょうど未・・・」

試着室に目を向け未希子の姿を見たとたん、優美は両眉を高く上げ、ぱっと大輪が花開いたような笑顔になった。

「レンや・・・これは案外面白くなりそうよ。私の孫でもさすがに今回は苦戦する気がしてきたわ・・・・とにかく、早々と席を立とうなんて考えないように。わかった?」

優美は何度か相槌を打った後、愛してるわと言って電話を切った。

「ごめんなさいね。孫に明日の確認をしていたものだから。それにしてもその服、良く似合っているわ。とっても素敵。未希子さんのための服って感じよ」

シルクって本当に女性を引き立てるわね。いろいろ試着したらって言おうとしたんだけど、それを見たらその服に勝るものなんてない気がしてきたわ。優美は未希子の肩の線をなぞったり、後姿、裾の長さを確認したりしながら吟味し、未希子が着替えるのを待たずにこの服もホテルに届けてちょうだいね、と決定事項のように店員に告げた。

「優美さん!」

「一着だけよ。約束したじゃない」

優美はいたずらっ子のように肩をすくめ、さあ、次は夕食よと言って未希子を試着室へ押し込んだ。その夜は何とかこれ以上お金を使わないように説得し、渋々と言った感じで承諾した優美が未希子を連れて来たのはチャイナタウンだった。シンガポールに来たらチキンライスということで、レストランに入った二人だったが、優美を見た瞬間、レストランの店主は顎が外れそうなほど驚愕し、店主の嫁らしき女性とその子供達を大声で呼び、これでもかと言うほど腰を低くして優美さんへ挨拶をしていた。それが終わると店主は急いでキッチンへと入って行ったが、周りの客は優美をちらちらと見ながらひそひそと何かを話していた。

「ごめんなさいね。こういうローカルに来るとやっぱり中国人同士の挨拶やらコネクションってあるのよね」

その分ホテルだと相手の立場を考えて家族総動員の挨拶のようなこともなければ、料理長からの簡単な挨拶で終わるだけなので逆に楽だという。
身分が違うと想像できない苦労があるんだわ。
そんな想像もできない苦労話を聞きながら夕食を食べ終わった後、未希子は優美と一緒にぶらりとチャイナタウンのパゴダストリートを歩き、まるで修学旅行生のようにはしゃぎながら写真を撮ったり、小物を見て回った。
あっという間に時間は過ぎ、呼び寄せたリムジンに乗った二人は、8時ぎりぎりにホテル内のスパへと駆け込み、明日に向けて全身を磨いてもらうこととなった。
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