シンガポール・スリング
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気づいたら、日本に着いていた。
そして、何事もなかったかのようにシンガポールに行く前の生活に戻っていた。コーヒーの香りも、お客様も、周りの景色も、全て五日前と変わらないのに、未希子の心は完全に変わっていた。
「未希子ちゃん、モカチーノ、ソイで。エクストラホットね」
今日はオーナーの山瀬がオーダーを取っている。山瀬には公私共々お世話になっていて、シンガポールに行く時も、今までろくに有休を使っていなかったんだからゆっくりしておいでと快く休暇をくれた。その間、奥さんの文香がカフェに入ってくれたそうで、客の足が途絶えるたびに二人は前乗りになってシンガポールでの出来事を聞いてきた。
「未希子ちゃん。それ本当に映画のワンシーンみたい!」
手をたたきながら大喜びしている文香は未希子が作るモカチーノを待ちながらうっとりとした表情でカウンター席に腰を下ろした。
「文香がうらやましがっている~」
山瀬はカップを棚の上に戻しながら、文子にチャチャをいれている。結婚20年以上のカップルとは思えないほど仲が良く、山瀬カップルに会いたいがために来るお客もいるほどだ。未希子はソーサーを文香の前に置くと、モカチーノをのせた。山瀬は文香が接客するのを温かく見守りながら、未希子に聞いた。
「その人もうすぐ帰ってくるんだよね?」
「はい。今週末にミーティングがあるそうで、その後日本に戻ると。その時はここにも顔を出すとは言っていました」
「若いっていいねぇ。あの上品な老婦人のお孫さんなんでしょ?出会いってどこに転がっているのかわからないね」
「そうですよね。実際お見合いなんて無理だって思っていましたから」
未希子は窓の外に目を向け、少しずつ赤く染まろうとしている木々に目を向けた。
――― 来週、帰ってくる。
それだけで、未希子は今週を乗り越えられる気がした。未希子にとってレンの存在は少しずつ大きなものになっていた。照れた時に人差し指でちょっと鼻の頭を触るところとか、自分の思い通りに物事を運ぼうとする言い草とか、不安そうに見つめる目線とか一つ一つが今になって未希子を翻弄させ、離さない。