シンガポール・スリング
レンはあの時のことを思い浮かべながら、インターネットに出回っているシュンリンとのデマ情報を読んで歯噛みしていた。
父親がわけもなく連絡してくることなどない。つまりは何か理由があって連絡して来ているのだが、シンガポールでの状況報告は秘書の宮本がしているはずだから、このプロジェクトに関してではない。日本でも特に問題はない。
つまり―――。この記事について。
レンは小さく舌打ちした。
日本に帰ったら未希子のことを話したいと思っていたのに、その前にシュンリンとのデマの説明をすることになるなんて。
その時、スクリーンから呼び出しコールが流れて来たのでサイトを閉じ、マイクをオンにした。
「・・・元気そうだな」
「はい、何とかやってます」
社長の座をレンに譲ったウェイ・リンを見て、外部の人間の中にはウェイ・リンが持つカリスマ性が衰えてきたからでは?と考える人もいたが、彼ほど先見性があり、人を惹きつける人間はいなかった。
「シンガポール政府からの追加事項が出たそうだな」
「・・・・ええ。でも明後日までには何とかなりそうです」
「見くびられるなよ。このプロジェクトによって東南アジアでの立ち位置が決まるんだからな」
「・・・・・わかっています」
「それともう一つ」
ウェイ・リンはわざとゆっくりカップを手に取り口に含んだ後、体をソファーに預けた。
「マスコミに遊ばれているようだな」
「・・・・・」
「奴らと遊びたいならそれでもいいが、シュンリンは家族だぞ。」
「彼女とは何もありません」
「彼女の父親から連絡があったぞ」
「・・・・・」
「婚約されたそうじゃないか」
「ええ。その紹介とお祝いのために会っただけです。あと仕事で関わっているので」
レンは父親がこの話を引き合いにまたお見合い話を持ってくるのではないかと思っていたが、全く予想もしていない言葉が父親から放たれた。
「そんなことをしていたら、河本未希子を手に入れることなんてできないぞ」
?!・・・どういう・・・意味ですか。
「彼女と付き合っているんじゃないのか。ナイナイが浮かれていたぞ」
・・・・・・。
「今までのお見合い相手も気に入らなかったようだし、付き合ってもそれほど乗り気じゃないお前が、河本未希子は少し違うようだと言っていたからな」
「あれは・・・あの時はまだ仕事に集中していたかったので。それに彼女とは付き合っては・・・・まだいません」
「付き合っていなかったのか?なんだナイナイの勘違いか」
「いえ・・・・勘違いでもありません」
なんだそれは。どっちつかずだな。両腕を膝に乗せ、体をスクリーンに近づけるとウェイ・リンは息子の目を探るように見つめた。
「少し痩せたようだったぞ」
・・・・え?・・・・・
一人の女性を・・・愛する女性をほったらかすような奴が、何千人もの従業員を守ってやれるのか。
「?!・・・・未希子に・・・・彼女に会ったんですか?」
「ナイナイが彼女のコーヒーは絶品だと言っていたからな」
「・・・・・・話を・・・したんですか」
「紹介もされていないんだからお前の話などしていない。ただあいさつ程度の世間話だけだ。それに付き合ってもいないらしいしな」
・・・・・。
「いいか。マスコミの力を侮るな」
実際の所、河本未希子がゴシップ記事を見たかは知らないが・・・と前置きしつつも、ウェイ・リンは微かに目元を歪ませた。
「あの様子だと、彼女はゴシップ記事を完全に信じ切っているな」
「?!」
「連絡もせず、他の所で別の女とイチャイチャしている男なんて信じられないだろう」
「っ!!そんなこと、するわけがない!!」
「ああ、していない。でもそれを知らない人間から見たら・・・あの写真だけ見たら、100%写真の方を信じるとは思うがな。特にお前との時間が短い彼女にとっては」
レンは目を閉じ、未希子がショックを受けているところを想像しただけで、胸が痛んだ。
「今週末、必ず帰国します」
ウェイ・リンは息子の言葉を吟味するかのようにじっと黙っていたが、母さんが家に顔を出すように言っているとだけ告げると、答えを待たずにビデオを終了させた。