シンガポール・スリング


未希子は息を吐きだすと同時に、今まで抑えていた涙が後から後からあふれ出てきた。

「あれ?未希子ちゃんお客さんは・・・」

山瀬と瀬尾はバルコニーから戻ってくると、ドアの方を見ながら小さく震えている未希子に驚き駆け寄った。

「今のお客さん・・・・未希子ちゃんが話していた人?」

山瀬の問いに未希子は泣き叫ばないよう、両手で唇を押さえて小さくうなずいた。
未希子はずっとレンに言うべき言葉を考えていた。
考えるたびに胸が押しつぶされるように感じて、息ができなくなった。それでも言わなければだめだと思った。自分はレンの隣にいる資格はない。

レンは世界のトップに立つ男。

会社を、何千、何万人もの従業員を支えていく男にはシュンリンのような、全てがそろっている女性が似あっている。あの写真を見た時、何の疑問もなくそう感じてしまったのだ。
あのスコールで出会った瞬間、レンは未希子の心を攫っていった。
レンとは釣り合わないと言っておきながら、待ち焦がれている自分がいた。それでも、レンのことを考えるとどうしても自分では駄目な気がした。そして彼の足を引っ張るようなことだけはしたくなかった。

「全て終わりました」

「・・・・それでよかったの?」

「これが一番よかったんです」

じゃあなんで未希子ちゃん、そんなに泣いてるの。おかしいでしょ?そんなの。

「未希子さん・・・今の方、傘を忘れて行ったみたいですよ」

瀬尾が紺の傘を持ち上げながら心配そうに未希子の目を覗き込んだ。

「優美さんが・・・時々いらっしゃる老婦人がいらっしゃった時に返せばいいと思う」

「届けに行くってこともできますよ」

「・・・・そんなことできるわけないじゃない」

未希子は両手で顔を覆い、仕事中にすみませんと言いながら泣き崩れた。

「未希子ちゃん。詳しいことはわからないけど、どこかで何かが間違っている気がする」

山瀬は肩を震わせながら嗚咽する未希子をカウンター席に座らせ、何も言わずに背中をさすった。後悔するってわかっているのに、どうしてかな・・・・山瀬は気の毒そうに見つめることしかできなかった。

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