シンガポール・スリング
あの頃が懐かしいわ。
「私はね、宗次郎さんには感謝をしてもしきれないの。彼がいなかったら今の私はいなかったわ。・・・私が死ぬ前にどうやって恩を返せばいいかずっと考えてきたの。そして、もう一つ・・・」
老婦人は小さく眉を寄せ、テーブルにある飲み干したコーヒーカップに目を向けた。
「私には孫がいてね。あの子を見ていると、昔の自分を見ているようで時々悲しくなってしまうの。とっても優秀なのよ。でもなんていうのかしら、冷めているというか。人間らしくないというか。でもあなたと出会って、もしかしたらあの子にもまだ救いがあるような気がしてきたの。」
老婦人は姿勢を正して未希子の目をまっすぐに見た。
「未希子さん・・・そう呼ばせてもらってもいいかしら?あなたがどれほど素敵な女性か私はこの1年近くずっと見て来たわ。そして、あなたは宗次郎さんの血を受け継いでいる。ねぇ、うちの孫に会ってみる気はないかしら?」
「は?」
あまりにも突拍子もない展開に、未希子は思いっきり首を振った。
「む、無理です。無理です!私の祖父が優美さんの人生にとって大きな存在だったということはよくわかりましたし、感謝の気持ちをお持ちなのも十分伝わってきました。でも、恥ずかしながら、男性とお付き合いしたこともありませんし、見ず知らずの人と会うなんて私には無理です。」
「あら、今の若い人たちはお見合いパーティーとか行くと聞いているわ。そんな感じでいいのよ。結婚しなくちゃいけないと言っているわけじゃないし、ただ会って話してみてくれればいいの。」
「いえいえ・・・突然お会いしてもお孫さんもお困りになると思います」
「確かに忙しい子なんだけれど、あの子には時間を空けるように言うわ」
「そこまでしなくて・・・」
「一度だけでいいの。チャンスをいただけないかしら?」
「・・・・」
老婦人は両手を組み合わせ、懇願するように必死に頭を下げた。孫を知っている優美は、逆に未希子に申し訳ない気がしていたが、二人を合わせる方法はこれしかなかった。あまりの必死さに未希子ははっきり嫌だとは言えなかった。
「・・・・もうお調べでしょうけれど、私はいたって普通の家庭です。確かに祖父はああでしたし、父と母は大学で教えていますが、私はカフェで働く本当にその辺の一般市民と同じなんです。でもお孫さんは・・・ご職業は?」
「AWC・・・アドバンス・ワールド・コーポレーションっていう会社に勤めているんだけど、ご存知かしら?」
?!
「いろいろ手がけている会社なの。私も詳しいことはよくわからないんだけど。結構大きいのよ」
「・・・AWCは私でも知っているぐらい一流企業で、世界的にも有名です。それだけでもお孫さんとはあまりにも世界がかけ離れていて・・・」
言い終わる前に、優美はテーブルの上にあった封筒を未希子に差し出した。
「断られることは覚悟のうえで、準備したの。2週間後。どんなに忙しくても孫には必ず来させるわ。私も一緒に行くから大丈夫。一度だけでいいの。会ってみてはくれないかしら」