シンガポール・スリング
「とりあえず今日は家に送るから、携帯貸して」
そう言うと、レンはポケットから携帯を出し自分の連絡先を登録させた。
やっと連絡先を聞くことができたよと苦笑いをしながら、未希子のLINEが登録できたことに満足したのか、行くぞと未希子の手を引いて宮本が待っている車へと向かった。宮本は軽く挨拶をすると、住所を聞き、未希子のアパートへと向かった。道路はそれほど混んでいなく、未希子のアパートには5分ほどで着いたが到着したとたん、レンは本当に未希子をここに一人残すことが正しい判断か迷い始めた。
そのアパートは確かに未希子の職場から近く、周りにもお店などがちらほらあったが、正面玄関の右隣が焼き鳥屋、左隣は居酒屋だった。
「こんなところに毎日一人で帰って来るのか?」
「?」
「酔っ払いとか夜は危ないだろう・・・」
「毎晩酔っ払いに会うわけじゃないんですから」
「・・・・」
レンは大きくため息をついて、とりあえず検討の余地ありだなとつぶやいた。
落ち着いたら連絡するようにと念を押すと、そっと未希子の頬を撫でる。
未希子はそうされると、まるで催眠術にでもかかったかのようにレン一点を見つめてしまう。未希子はゆっくりとうなずいてから車を降り、アパートに入って行った。
余韻に浸りながらたどり着いたアパートの部屋は、それほど快く迎えているようには見えなかった。ひんやりしていて、観葉植物もなんだか悲しそうに見える。自分で何か作って食べるとは言ったもののアパートに着いたとたん、やる気が失せてしまった。
入院中レンが親鳥のように行ったり来たりと世話をしてくれたことには感謝しているが、なぜそうしたのかがわからない。
レンの優しさに甘えてしまいたくなる自分がいる。
結婚を考えている人がいると言うのに。
そう考えたとたん、胸にズキッと痛みが走った。
なぜ当たり前のように抱きしめ、口づけしてくるのかがわからない。
好きな人がいるのにそういうことをしてくる理由が見つけられない。
今のようなあいまいな関係を続けてしまっていいはずがない。
結婚を考えている人がいるんだから。
未希子は体をベッドに横たえると、涙が勝手に顔を伝って流れ落ちた。
それでも、レンさんが好き。
ハッと口元を押さえた。
・・・そうなんだ。
私はレンさんが好きで好きでたまらないのだ。
そして、自分が思っている分の半分でもいいからレンに愛されたかった。
‟俺の感情を知っているかのように言うのは止めてくれ“
レンさんの感情なんてわかるわけがない。
なぜ入院中にあんなに優しくしてくれたのか。
なぜ、会社の前で目をそらしたのか。
考えれば考えるほど頭の中が混乱して、胸が苦しくなるだけだった。
こんな苦しい恋なら、恋なんて知りたくない。
こんな苦しい思いをしながら、みんなは恋をしているのだろうか。
未希子はその苦しみを抑え込むように体を小さくして目を閉じた。