シンガポール・スリング

レンは今度はしっかり前を向いて、上村の方へと歩いて行くと、上村はやっとかよというように抱きしめていた腕を離し、未希子をそっとレンの方に押し出した。

レンはその瞬間、しっかりと未希子を抱きしめると未希子の耳元でごめんと呟き、そのまま両膝を着いた。
未希子は涙を溜めた眼を大きく見開き、両手を口元で覆いながらレンを見下ろした。

「未希子。愛してるんだ」

レンは未希子の両手首を握り、懇願するように未希子を見上げた。

「言葉も足りないし、未希子を苦しめてばかりだって言うのもわかっている。でもどんなことがあっても、もう未希子を手放すことはできないほど愛しているんだ」

未希子の眼からポロポロと涙が零れ落ちる。
こんなに泣かせているのに、未希子の泣いている姿が綺麗だとレンは頭の片隅で思ってしまう。

「頼むから、もう一度だけチャンスをくれないか。どうしてもどうしても未希子を諦められない」

未希子は驚いた様子で瞬きもせず、じっとレンを見つめている。

「どうしても未希子が欲しい。そのためだったら何でもする。だから・・・」

未希子はレンの唇にそっと指を当て、その続きを言わせなかった。
レンの眼差しが揺れ、不安の眼で未希子の眼を覗き込む。

「私がどうしてレンさんから離れようとしたり、レンさんの前から逃げ出したかわかりますか?」

未希子の問いに、レンはただ首を横に振った。
一体何を言われるのか、レンは底知れない恐怖に襲われた。
全てを把握しコントロールする側にいつもいるレンにとって、こんな恐怖を感じたことは今まで一度もなかった。ビジネスでの緊張感は常にあったものの、恐れはなかった。
今感じているような恐れは仕事でも過去の恋愛においても経験したことはなかった。
でも今、未希子が放つ言葉次第で、レンは簡単に砕け散ってしまう。未希子のほっそりとした手首を無意識に、縋るように握りしめた。
未希子はぎこちなく微笑みを浮かべて、小さく息を吐いた。

「自分だけがレンさんに恋していると思っていたからです」

「え・・・」

「自分だけがこんなに苦しい思いをして、一方通行のままの恋なんて続けられないと思ったんです」

「未希子が・・・恋?」

レンは未希子をぼんやりと見上げていたが、やっと未希子の言っている意味が分かるとびっくりしたように立ち上がった。

「それは・・・好きだと言う意味?」

自分でもばかげているとわかっていたが、レンはどうしても確認せずにはいられなかった。

未希子が自分のことを好き?一方通行??

未希子はフフッと笑うと柔らかい眼差しでレンを見上げた。

「私はレンさんが好き」

その言葉の破壊力は凄かった。
自分の鼓動の高まりで息をすることすらままならなかった。
見下ろすと、さっきまでは小鹿のような眼が悲しみで染まっていたのに、今はキラキラ輝いていてレンの思考を完全に停止させていた。
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