シンガポール・スリング
・・・・・・・
目を覚ますと、ベッドの隣には誰もいなかった。
レンは舌打ちして飛び起き、スエットパンツだけ履いてそのまま寝室のドアを開けると、コーヒーの香ばしい匂いが鼻腔を駆け抜けていった。
つま先立ちでそっと廊下を進みキッチンの方に顔を向けると、鼻歌を歌いながらグレーのスエットを着た未希子が立っていた。
その姿はレンが想像していたより、ずっとしっくりきていて、胸に込み上げるものがあった。壁に寄りかかりながら未希子の鼻歌に耳を傾けていたレンだったが、未希子が突然振り返りレンを見た瞬間、口をパクパクさせ頬を紅潮させた。
あまりのかわいさに、思わず小さく噴き出した。
「楽しそうに歌っているから、止めることができなかった」
レンはゆっくりとキッチンカウンターに近づき、おはようと言ってこめかみにキスをした。
「すみません。勝手にコーヒーを作ってしまって」
「いいよ。今朝は疲れて動けないんじゃないかと思ってたけど、元気そうでよかった」
唇を突き出し、不満げな未希子だったがそんな表情でもかわいく見えてしまう。レンはテーブルに肘をつき、未希子から目を離さなかった。
「もちろん全身筋肉痛です。でも、どんなに疲れていても朝は目覚めてしまうので・・・。コーヒーいかがですか」
「未希子のコーヒーが飲めるなんて、最高の朝だな」
もぅ・・・大げさなんですから。と言いながらも、未希子は小さく微笑んで、カップにコーヒーを注いだ。
「今日はどこに出かけたい?」
「うーん。どこでもいいですよ。せっかくですからレンさんには家でゆっくり休んでほしいです」
「家にいたらすぐ愛し合いたくなってしまう」
「えっ?!」
「当たり前だろう?一緒にいるんだから」
「・・・じゃあ帰りましょうか」
「却下」
「もう・・・」
「だから言ってるだろう。どこに行きたいかって」
レンは未希子に関して幾つかの失敗をしてしまったが、策士には変わらない。
目を伏せて口元を緩ませたレンはゆっくりと未希子を見た。
「シャワーから戻って来るまでに行きたい場所を決めておくように。決まらなかったら、今日の行き先はベッドだ」
そういうと、あたふたしている未希子を置いて、シャワールームへと向かった。
未希子とならどこにでも行きたいと思っているレンは彼女がどこを指定してくるのか興味が湧いた。
未希子にお願いされたらどこだろうと連れていくだろうなと考えながら、サッとシャワーを浴びて濡れた髪をタオルで乾かしキッチンに戻ると、コーヒーカップを口に当てながらチラッと見てくる未希子と目が合った。
「行きたいところ、決まったか?」
「・・・・まぁ・・・」
「なんだ、その嫌々な感じは」
不貞腐れた表情の未希子に思わず吹き出してしまったレンだったが、未希子の腰を両腕で挟み、どこに行きたいか尋ねた。
「デジタルアートミュージアムが・・・いいです」
「デジタルアート?お台場のか?」
一人じゃ行けないので・・・ぼそぼそと呟く未希子の頬にチュッとキスをした。
了解。シャワー浴びて準備しておいで。
レンは未希子がシャワーを浴びている間、急いでメールをチェックし、必要な資料を走り読みした。今まで時間さえあれば仕事関係に時間を費やしていたが、未希子との時間をきっちり取りたいと思っているレンにとって、タイムマネージメントは何よりも最重要項目だった。
それともう一つ。
レンは寝室に行って、小さな箱を取り出した。
「確約を取ってこいか・・・」
父親の言葉を繰り返してそれをポケットに入れると、携帯を取り出して電話を掛けた。