シンガポール・スリング

「すまない、彼女はここに宿泊していると言っていたが・・・。」

「昨日からご宿泊されているお客様です」

「・・・本当だったんだな。ここに宿泊しているっていうのは」

「何かご伝言でも?ご用件がありましたら承りますが」

ドアマンはレンの視線を追いながら話しかけた。

・・・一着ぐらいジャケットがなくなってもいいんだが。

でもなぜかあのジャケットが彼と小鹿のような眼をした女の唯一のつながりのような気がして、なんとかあのジャケットを利用してもう一度会えないか模索している自分がいた。

待て、待て・・・何を考えているんだ。

自分には女に費やす時間などない。
結婚相手も両親が決める人でいいと思っているではないか。
結婚はビジネス。
そして、レンにとってビジネスとは実戦版チェスのようなものだった。作戦を考え実行する。その戦略を考えて手中に入れた時の快感をレンは十分に理解していた。

結婚はそのコマの一つに過ぎない。

目に余るほどだらしないとか容姿があまりにも酷いというのでない限り、両親がセッティングした女性で十分だと考えていた。今までのお見合いで出会った女性たちは確かに容姿端麗で両親のどちらかが大物であり、お互いの利害が一致していた。しかし、どの相手とも長く続くことはなかった。ほとんどの場合、レンが相手にしていなかったのが原因である。とにかくここ数年は会社が最優先で食事の時間を作ることすらままならなかった。だから相手の女性には気を留めなかったし、見合いも会って話すだけ。相手側がお互いをもっと知りたいというのであれば、望み通りに何度か会ったが、レンの忙しさと配慮のなさに女性側から離れていったのだ。

今回の女性、河本未希子もきっとそうなるだろう。ただ今回は今まで勧められた女性とは全くタイプが違っていた。
中国人でも、華僑でも、ましてや華人でもない。どこかの令嬢でもなければ、何かの役職についているわけでもない。だから興味本位で会ってみようと思った。事実、彼女のことはA4サイズ1枚に書かれていたこと以外何も知らないし、写真すら付いていなかった。

―――何を企んでいる?

普段は父のことが手に取るようにわかったレンだったが、今回だけは全く理解できなかった。だからといってレンの父親も手の内を明かすようにペラペラと話すような男ではなかった。淡々とまるであまり興味がないように明日のランチについて話し、時間を空けておくように伝えてきた。

まあ、明日になればわかることだが。

レンはため息をつきながら、今夜のレセプションのため31階の自室へと帰って行った。

・・・・・
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