不器用主人の心は娘のもの

彼の過ち

 夜、彼は主人の姿で娘のもとへやってきた。

 昨晩彼が命じた通り、昨晩と同じ姿の彼女は床ではなくベッドに座っていた。しかし主人の姿を確認するとまた怯えたように震え始める。

 娘の顔を良く見たい、そう思った彼がゆっくりと近付いていくと彼女は怯えたまま目を強くつぶる。

(…笑って見せてほしい…)

 不意に彼の頭にそんな思いがよぎった。

 しかし彼が娘の頬をそっと撫でると、今度は驚いたらしい。

「…震えてばかりか。主人に、口を利いたらどうだ」

 どうしようもない苛立ちが彼を襲う。

「…どうか…お許しください……」

 ようやく口を利いた彼女の声は震えていた。

「私に奪われることか?私に無礼を働いていると思うことか?」

 彼の問いに、娘は首を振ることも出来ずにうつむいている。

「…嫌がる声でもいい、鳴け」

 彼は、今日こそ娘の愛らしい声が聞けることを願った。


「なぜ声を出さない!?泣いてばかりか!」

 声も出せず泣くばかりの彼女を、苛立つ彼は無意識のうちに強く抱きしめてしまっていた。

「っ、くぅ…!」

 苦しむ彼女を見て彼は慌てたが、何とか落ち着き払って身体を離した。

「…っ、すまない…」
「っ、はあっはあっ、はあ…」

 彼のかろうじて口を出た小さな謝罪の言葉は、彼女の必死の呼吸に消えていった。


 彼は何も言えずに身を素早く整えて部屋を出た。そしてすぐに鍵を掛け、そっとその扉に背を付ける。

 娘を死なせてしまうところだったかもしれない。

 彼女は食べるにも困るほどだった身であり、あの痩せた身体。体力などあるはずもない。
 しかも無理やり連れてきたのもあり、娘は一日に食事と軽食の二回を自分よりも少ない量でやっと食べているほどだとコリーンは言っていた。

(…今までの娘たちとは違うのだった…それなのに私は…)

 中からは戸を開けようとする音と、また彼女の泣き出す声が微かに聞こえる。

 また泣かせてしまった。
 いつになったら娘は泣かずにいてくれるのか…


 彼は誰もいない廊下を、悲しみにくれた顔を仮面で隠したまま部屋へと戻っていった。
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