境界線を越えたくて
 普通の質問を二個挟んで、また違う角度から投げられたクエスチョン。一昨日まで話したこともなかった私がさらっと答えたら変かなとも思い、寸刻沈黙を流してから告げた。

「瑞樹」

 言った途端、またもや体が熱くなる。「坂口くん」よりも刺激あるその三文字は耳元の空気に居座り続けると、何度だって反芻(はんすう)された。

 熱を逃すため、手で作った扇子(せんす)を面前で行き来させる。こんな態度をとってしまっては照れも恥じらいもバレバレだろうけれど、好きな人はいないと答えてあるからセーフに賭ける。
 宙で流離(さすら)う冷んやりとした空気を頬に送り続けていると、彼は手すりの上に乗せた腕へことんと頭を落とした。斜めになった顔でこちらを見て、ぽつりと呟く。

「乙葉」

 乙葉。彼は今間違いなく、私の下の名を言った。

「水沢さんは乙葉で合ってる?」

 フルネームを知ってもらえていたと素直に喜べばいいのに、すかさず口から(はじ)け飛んだのはこんな疑問符。

「ど、どうして知ってるのっ?」

 私たちの学年は八組まであって、生徒数も校内一番。同じクラスにもなったことのない、目立ちもしない私なんかの名前を彼はどうして。
 前のめりが行き過ぎて、思わず二、三歩つんのめる。手を差し出せば握手を交わせるそんな距離まで近付けば、触れたいと思ってしまった。
 頭を起こした彼は言う。

「内緒」
「へ?な、内緒……?」
「うん、内緒」

 なんでやねん、とツッコミたくなったが、それは自分の立場も危うくなると感じ、やめておいた。

 じゃあ水沢さんは、どうして俺の下の名前を知ってるの?

 だなんてもし聞かれれば、「好きだから」と口を突いて出そうだから。
 今はまだ我慢の時。卒業までに私がするべきことは、彼との仲を深めること。
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