境界線を越えたくて
 一目惚れ。私が坂口くんを好きになったきっかけは単純だった。
 くっきり二重の丸い瞳はどこかの芸能人と見紛うほどで、筋の通った高い鼻や計算し尽くされた上唇と下唇の見事なバランスが、美形を(かたど)る。

 彼の周りはいつも、男女問わぬ人で溢れていた。学校のアイドル。そんな肩書きが似合う人。
 その群衆へ飛び込んでいけるのはやはり彼と同様の性質を持つ者が多く、私みたいな凡人は陰から見ているだけ。

 目は時々合った。だって見ていたから。

 朝の下駄箱、休み時間の廊下、放課後の校門。音楽祭や体育祭に修学旅行。いつも彼を目で追っては、瞼の裏で再生した。

 これでじゅうぶん、これで幸せ。

 そうやって何度も自分に言い聞かせて、心の中だけでこう言った。

 私はあなたのことが大好きです。

 けれどパリンと壊れたハートは中々元には戻らなかった。ギザギザしたそれを抱え歩くのはとても辛くて、淡い思い出として消化されればどんなに楽だろうと思った。
「甘酸っぱい恋でした」と、早く過去形を使いたい。

 だから私は、期限を設けた。この学校を卒業するまでには私もこの恋を卒業するんだって、そう決めた。
 廊下を歩けば嫌でも探してしまう彼の姿。教室にいれば嫌でも聞こえてきてしまう学校アイドルの彼の名前。あそこもだめ、ここもだめと消去法で辿り着いたのが、ベランダだった。

 花粉の季節も相まってか、何の楽しみもないここに来る人間はそういない。八組まで続く長い手すりや裸の木や空を眺めて暇を潰し、時折切なくなる時間を過ごす。
 涙が出そうになれば、やたらと明るい音楽を耳に差し込んだ。それでも涙が零れ落ちる時は、とことん悲しいバラードに切り替えた。
 たくさん泣けばスッキリした。たったひととき、その時だけでも心が晴れれば、空の青は清々しく見えた。
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