拝啓 まだ始まらぬ恋の候、
「これ、あんた宛」
母が滑らせるように渡してきたのは、美容院からの年賀状だった。
行かなくなってずいぶん経つのにマメなことだと思いつつ、一瞥して他の年賀状に混ぜる。
芙美乃に年賀状を出す習慣はないが、廉佑には出した。
けれど、「昨年は生駒さんとご縁ができまして、楽しい年となりました」「いただくお手紙をいつも楽しみにしています」そんなことを何度も書いてはすべて消した。
「今年もよろしくお願いいたします」という定型文さえ、未来を望まれるのは負担かもしれないと書けなかった。
『あけましておめでとうございます
今年も生駒さんにとりまして、佳き年となりますように』
あの年賀状も今頃届いているかもしれない。
「ねぇお母さん。緒方さんに手紙出すとき、何書いてるの?」
芙美乃の母は、高校時代から文通を続けている。
今では考えられないが、当時は雑誌に「ペンフレンド募集」と、名前と住所を載せる欄があったそうだ。
そこで母が募集をかけ、連絡をくれた同い年の女の子と文通を始めて四十年になる。
「別に。たいしたことは書いてないよ」
「例えば?」
「絵美子は本が好きだから、読んでる本のことが多いな。私も勧められるんだけど、趣味合わなくて」
緒方は旅情ミステリーが好きだったはず。
韓国の歴史ドラマ好きの母とは相容れないようだ。
「趣味合わなくても文通って続くの?」
「年に二、三通だから、近況報告で終わるよ。元気ならそれでいいの」
息子が結婚した、骨折して入院している、そんな緒方の日常は、佐伯家でも当たり前のように話題となる。
母が実際に緒方に会ったのは二度だけだが、芙美乃もごく普通に「母の友達」という認識でいる。
「字って、どうしたらきれいになるのかな」
手紙を書くようになって、自分の字がどんどん嫌いになった。
小学生のとき教科書の活字を真似て書いた癖が抜けず、情緒のない字になってしまった。
廉佑はきれいな字を書く。
お手本のように整ったものではないけれど、ほどよく力が抜けて伸びやかで、明らかに「書き慣れた」ひとの字だ。
その廉佑の目に映る自分の字は、ひどく不恰好だろう。
「絵美子はひどい癖字でね、通信講座も受けたみたいだけど、全然上達しなかったな」
先月からペン字練習の通信講座で練習を始めた芙美乃は、ピタリと口をつぐむ。
今のところ上達した実感はない。
「でも、絵美子は改行のバランスとか、書き方のセンスがすごくいいから読みやすいの。言葉の選び方も独特で、読んでて楽しいよ」
バランスだとかセンスだとか、そんな曖昧なものではなく、手っ取り早く使える技術を伝授して欲しい。
当たり障りのない内容と、きれいでもない字の手紙などもらって、廉佑に何のメリットがあるのか。
廉佑から手紙が来なくなったら、芙美乃の方から手紙を出すことはないだろう。
手紙は、出すと返事を待ってしまう。
返事が届くとうれしくて、つい返事を書いてしまう。
そのくり返し。
今頃、自宅アパートの郵便受けには、廉佑からの年賀状が届いているかもしれない。
何が書いてあるのだろう。
今すぐ帰って確かめたい気持ちになり、モゾモゾ脚を組み換えたら、寝ているマルを蹴ってしまった。