拝啓 まだ始まらぬ恋の候、
攻め込むか、守りを固めるか、時間を使って考えた末に、すい、と歩を突いてきた。
駒音に変化はなかったけれど、場に緊張が走ったことは伝わってくる。

和装であってもタイトル戦であっても廉佑に変わりはない。
土下座するみたいに頭を抱えて考える。
今は、本当に困っているのではないかと、芙美乃はハラハラと見守っていた。

ようやく起き上がったと思ったら、単に昼食休憩だったらしい。
廉佑は地鶏の卵を使った親子丼を注文したそうだ。

鶏肉も卵もあるけれど、今は料理なんてする気になれず、芙美乃の方は卵かけご飯を食べた。
卵はもちろん、サイズ不揃い、十個入り九十八円の特価品である。

うつくしい塗りの器に納められた高級親子丼を食べたはずの廉佑は、対局が再開されてすぐに、突かれた歩を取った。
棋聖はまた別の歩を突き、廉佑はまたそれを取る。
その歩を角で取られる。

廉佑は受けの名手であるらしく、解説者もみんな廉佑はこのまま手厚く受けるだろうと予想していた。

ところが、そこで攻勢へと転じた。
歩を突いて、桂馬を跳ねて、どんどん攻めていく。

『今日の生駒九段はアグレッシブに指されていますね』

脇息に崩れ落ちている廉佑から、「アグレッシブ」は感じないものの、悪い展開ではないようだ。

相手の飛車を抑え込み、歩を突き捨てて、少しずつ少しずつペースを握っていく。
評価値は互角ながら、解説では廉佑の方が少し指しやすいと言われていた。

廉佑は胡座になって脇息に頬杖をついている。
背中が丸く姿勢が悪いため、落ち込んでいるようにしか見えない。
しかし、地元銘菓である最中を頬張る視線は鋭く、彼が戦いの中にあることを示していた。

『後手にいい手がありそうな局面ですね』

結局いい手があったのかなかったのか。
芙美乃にはわからなかった。
廉佑は駒を渡しながらどんどん攻め続けるが、そう簡単には捕まえさせてもらえない。
棋聖の玉は上へ上へと逃げていく。

廉佑は相手玉を自陣に入れないように防御するが、今度は自玉が攻められ始める。
再三差し向けられる歩や飛車を掻い潜り、廉佑の玉もするすると中央まで逃げていく。
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