拝啓 まだ始まらぬ恋の候、
持将棋の可能性が出てきた瞬間から、対局者は点数を意識している。
ここからは、ひたすら駒の取り合い。
その攻防戦となった。

金と歩を交換するなど、通常の将棋ではあり得ないけれど、そんなことが次々と起こっていく。

劣勢の廉佑は、とにかく点数の高い大駒を狙っていた。
幾重にも両取りを仕掛けて棋聖の飛車を追い詰める。
歩と香車を渡して桂馬を取る。
18点。
銀を渡して飛車を取る。
22点。

『50秒ー、1、2、3、4、5、6、』

両者、秒に追われながら激しい駆け引きを続けていく。
もう頭を抱えている暇も、水を飲んでいる暇もない。
指すときもいちいち駒を持ち上げる余裕はなく、指一本で滑らせるので、盤上はぐちゃぐちゃだった。

『50秒ー、1、2、3、4、5、6、7、8、』

『9』の声と同時に指した廉佑が、駒を盤外に落とした。
芙美乃はひゃっ、と息を飲む。
廉佑が盤上に駒を戻し、対局が変わりなく続いていく様子を見て、テーブルの上にくずおれた。

この将棋にもう「勝ち」はない。
しかし両者とも前に身を乗り出して、絶対に負けない、という気迫で指していた。

飛車を取って角を渡す。
22点。
角を取って銀と歩を渡す。
25点。

とうとう廉佑の点数は24点を越えた。
対局は続いていたが、次第に指し手もゆったりとして、対局室の熱も落ち着きを見せ始めた。

桂馬を渡して銀を取る。
25点。
桂馬を取って歩を二枚渡す。
24点。
香車を取る。
25点。

駒台には駒が山積みで、盤上は寒々しいほどガランとしていた。

「もう、そろそろ?」

棋聖から廉佑にそう声がかかる。

「やめましょうか」

廉佑もうなずいて、両者の合意により持将棋が成立した。

廉佑は呆然と宙を見つめ、棋聖はぐったりと下を向く。
ふたりとも消耗し切っていた。

立会人がやってきて、指し直しは三十分後にこのままやっても構わないし、日を改めても構わない、と告げたが、とてもこれから指し直せる状態には見えない。
相談により、やはり後日の指し直しと決まった。
弱々しい感想戦の声からは、隠し切れない疲労が感じられる。

これで廉佑の二敗一持将棋。
決着局は先延ばしとなった。

芙美乃はゴロンと仰向けに倒れ、白い天井を見上げる。
ずっと同じ姿勢でいたせいか、背中が痛い。
目を閉じると、古い除湿器の音ばかりが聞こえた。

――また夏が来る。


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