拝啓 まだ始まらぬ恋の候、
きょとんとする芙美乃とその手にあるスーツケースを廉佑は順番に見た。

「出張?」

「研修です。二泊三日で東京に行ってました」

廉佑は宙にカレンダーを思い描いて、入れ違いかぁ、とつぶやく。

「わざとじゃないですよ」

「じゃあ、手紙は読んでないんだね」

「出したんですか?」

「東京を出るとき。速達で」

「ちょっと、郵便受け見てきます!」

走り出そうとする芙美乃を、廉佑は制した。

「いいよ。全然たいしたこと書いてないから」

「『たいしたこと』なんて、一度も書いたことないですよね?」

このふた月、廉佑が書いては捨てた手紙の数を知らない芙美乃は、返信がなかった不満から刺々しい言い方をしてしまった。
それでも廉佑は愉快そうに笑う。

「そうだ。結構はっきり言うひとだった」

芙美乃はしずかに首を横に振る。

「いえ、本当に言いたいことは何ひとつ書けなかったので」

会いたい、と書きたくてペンが止まる。
画面を通してときどき顔も見られるし、声も聞けるけれど、それは芙美乃が会いたい廉佑ではない。

「本当に言いたいことって?」

芙美乃はもうひとつあるベンチに座って、ずっと気になっていたことを尋ねた。

「……将棋のこと。何で何も言ってくれないんですか?」

「聞いてくれれば何でも答えるけど?」

「『聞いてくれれば何でも答える』って言ってくれれば、何でも聞きました」

口を尖らせて抗議した芙美乃に廉佑は笑った。
そして、思案するように腕を組む。

「こちらとしても、何も聞かれないから興味ないのかなって。細かいことは言ってもわからないだろうし」

「将棋に興味があるかと聞かれたら違うかもしれませんけど、生駒さんにとって大事なことは気になりますよ」

ありがとう、と言う廉佑の声はやさしい。

「でも、何でもない話するのは楽しかったからね」

ひとりで歩くのに不自由はなくても、手を繋ぎ合うような。
そこにぬくもりを確かめるためだけの会話。
それが無駄であればあるほど、伝わる体温は高い。

「俺も、聞いてみたいことがたくさんあったけど、全然書けなかった」

仕事では「私」、手紙では「僕」という一人称は、実際に会うとどちらでもない。

「例えば?」

「例えば……何歳なのかな、とか」

「三十歳です」

「誕生日はいつなのかな、とか」

「五月十五日です」

「血液型とか」

「O型です」

「身長」

「161cmです」

「体重」

「変態!」

あはは、と廉佑は笑って、芙美乃の顔を覗き込んだ。
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