拝啓 まだ始まらぬ恋の候、
「電車ですか? 飛行機ですか? 時間間に合います?」
腕時計を街灯にかざして、芙美乃は尋ねた。
しかし、男性は
「もう乗り遅れました」
と言う。
「……私のせいですよね?」
「いいえ。違います」
「……これからどうするんですか?」
んー、と気の抜けた、返事とも言えない声が返る。
「ホテルに行くなら車で送ります。せめてそのくらいは」
「お気遣いなく。適当に時間潰すので」
「この辺、お店なんてほとんどありませんよ?」
「そうですか」
突然、芙美乃の胸に言い知れない不安が広がった。
こんな夜に、人気のない遊歩道にひとり、どこに行くあてもなく座っている男。
もし、明日の朝ここを通って、このひとがあの楓にぶら下がっていたら……。
そして、よもや自分のスーツケースバンドが役立っていたら……。
「あの、」
こんなとき、なんと声をかけたらいいのか、芙美乃は知らない。
「頑張れ」と言ってはいけないのだったか。
専用の電話番号に相談するべきか。
「えーと、あの、」
「何か?」
「本当にホテルには行かないんですか?」
「泊まってもどうせ眠れないので、ここにいるのと大差ないです」
本気でここを動くつもりはないらしい。
なんとかしなければ、と芙美乃は焦る。
「じゃあ、私のうちは? どこでもいいならうちでも同じでしょう?」
「…………え?」
ここにきて初めて彼は正面から芙美乃を見つめた。
一重の目がぱちりとまばたく。
芙美乃は刺激の強い単語を避けながら言葉を継いだ。
「何かお困りのようですし、良からぬことになったら寝覚め悪いので」
「ああ、……もしかして俺、死にそうですか?」
言い当てられて、芙美乃は素直にうなずいた。
「そのようにお見受けしました」
「でも、あなたの家に行って、そこで俺が死んだら、寝覚め悪いどころの話じゃないでしょう」
「他人の目があると、多少は決行しづらいと思うんですよね」
「大丈夫ですよ、多分」
「……不安が増しました」
「ほっといたら?」
「そうしたいのは山々ですが、ここは通勤経路なので、不穏な要素は可能な限り排除したいんです」
彼は思案するように息をついたあと、スーツケースと紙袋を持った。
「わかりました。行きます。あなたまでここで野宿させるわけにいきませんから」