拝啓 まだ始まらぬ恋の候、
芙美乃の部屋は1LDK。
二階の202号室。
八世帯入るアパートの西から数えて二番目の部屋だ。
「トイレはこっち、洗面台はこっちです。歯ブラシとタオルは洗面台に置いておくので、必要なら使ってください」
明るいところで見る男性に表情はなく、顔色もよくない。
芙美乃の話も聞いているのかいないのかわからなかった。
8.5畳という狭いLDKで、彼はふたり掛けの赤いソファーに遠慮なく腰かけた。
部屋がふた回りは小さくなったように感じる。
「もしかして具合悪いですか? 酔ってます?」
「いえ、大丈夫です。乾杯のビールに口をつけた程度なので」
彼は出された烏龍茶にも手を伸ばさず、遊歩道のベンチと同じようにそこにいた。
つけたばかりのエアコンの、まだ生ぬるい風が、つむじ周りの髪の毛をふわふわと揺らしていた。
「毎日暑いですね」
「こちらは風があるので、それほどでもないです」
「いらしたのはお仕事ですか?」
「はい」
保護した者と保護された者。
お互い深入りしない会話が盛り上がるはずもなく、芙美乃はすぐに時間を持て余した。
彼の方は沈黙が苦痛ではないようで、自ら口を開くことはない。
「あの、申し訳ないのですが、ご飯を食べてもいいですか?」
「俺の家ではないので、ご自由に」
「すみません」
ご飯と言っても遅い時間なので、かんたんにうどんを茹でる。
お湯にかつおぶしをふた掴み投入して、ふにゃふにゃと沈む様子を見ていたら、すぐそばに彼がやってきた。
「いい匂いですね。かつお?」
「はい。うどんです」
「お腹すいてきた」
かつおぶしの沈んだ鍋に顔を寄せ、いい匂い、ともう一度つぶやく。
「……食べます?」
言わされた形で問うと、即座に
「ありがとうございます」
と返事があった。
芙美乃は沸騰したお湯に、ふたり分の乾麺を入れた。