『竜の聖女の刻印』が現れたので、浮気性のあなたとはこれでお終いですね!
 
 ***


 食事を摂ったあと、一階の玄関ホールにやってきた私は、大扉に声をかける。

「ヴォルティス様、レイシェアラです。刻印の使い方をお聞きしたく参りました。よろしいでしょうか?」
『許す。入れ』
「ありがとう存じます。失礼いたします」

 扉が自動で開く。
 ベルを伴い、入室すると——そこは昨日とはまったく違う空間になっていた。
 なにもない、真っ白な空間にヴォルティス様の巨体が横たわっていたのが昨日。
 けれど今は、木造の室内と、開け放たれた窓や扉から広い緑豊かな庭。
 入り込む眩しい白い陽光。
 コーヒーの香りと、見たこともない魔石や乾燥された薬草。
 部屋と同じ木のテーブルと椅子。
 カウンターがあり、その奥にはコーヒーミルや茶葉缶、コーヒー豆の詰まったガラス瓶が並んでいる。
 そのカウンター内に本を開き、コーヒーカップを手に持った紫色の髪をひとつにまとめて左肩に垂らす成人男性が座っていた。
 鋭い金色の瞳。
 まさか……。

「え、ええと……」
「紅茶とコーヒーはどちらが好みだ?」
「紅茶、ですが……」
「種類は?」
「ハーブ……ローズとカモミールのミックスが好きです」

 ストレスが多く、眠れぬ夜も多かったので。
 って、違うわレイシェアラ。
 なに普通にリクエストしているの!
 この方、もしかして、もしかすると!

「あの、もしやヴォルティス様ですか? そのお姿は?」
「常日頃本来の姿でいては、寝ていることしかできないだろう。歴代の聖女たちが怯えてしまうのは、俺の本来の姿が恐ろしいからだ、と前任聖女に指摘された。だから人の姿を取ることにしたのだ。まだ怖いか?」
「いえ、とても素敵です」

 素直に、素敵な方だと思う。
 無意識に見惚れていたほど、美しい顔立ち。
 背は高く、すらっと伸びた手足。
 どこもかしこも整っていて、まるで絵画のよう。
 着ているものもワイシャツ一枚。
 下はカウンターでよくわからないけれど、む、む、む、胸板が……。
 はははははしたないわよ、レイシェアラ!
 どこを凝視しているの、淑女が殿方の胸板を凝視して勝手に恥辱を感じるなんてどうなのかしら!
 しかも相手は仕えるべきお方よ!
 いかがわしい目で見てはいけないわ、レイシェアラ! しっかりしなさい!
 今日ここに来たのは刻印の使い方を教わるためでしょう!

「……」
「……? ヴォルティス様? どうかなさいましたか?」
「あ、いや……。……とりあえず座れ」
「は、はい。それでは失礼いたします」

 真正面にこんな素敵な殿方がいると思うととても緊張するけれど、カウンター席に座るのは少し胸が弾むわ。
 他所の国はともかく、我が国では女性がカウンター席に座ることなどないもの。
 特に夜会中は『淑女はダンスを楽しみ、座りたいならば別室かテラス席。座る姿を恋人以外に見せてはいけない』という暗黙のルールがある。
 なんで我が国にだけそんな暗黙のルールができたのかというと、隣国のひとつ『紅玉国』のせいらしい。
 あの国は男女の隔たりが非常に薄く、女性のドレスも脚を出すものが多かった。
 女性は脚が美しくなければならない、という風潮があり、脚を見せつけるように座る時に組むのが主流なのだそうだ。
 それを見た我が国の当時の王が、「はしたない」と言って我が国にはそのような暗黙のルールが完成してしまったという。
 実際に見たことがあるけれど、確かにとても解放的で、あれはあれで魅力的だと思った。
 けれど、我が国では女性は既婚未婚問わず脚を出すことをはしたない、と学ぶ。
 なので自分があの脚を出すドレスを着られるかと言われると絶対に無理。
 恥ずかしくて憤死してしまう自信がある。
 だから、カウンター席に座る、というのは……こう、謎な緊張と高揚を感じるわ。

「……飲め」
「まあ、なんでいい香り……! ありがとうございます! いただきますわ」

 ハーブティー特有の薬草の優しい香り。
 ほんの少し悪いことをしたいるような気分。
 仕えるべき王にお茶を淹れさせてしまった。
 でも、王が手ずから淹れてくださったのだから飲まないのはもっと失礼よね。
 色合いも素晴らしい。
 意外だわ。慣れてらっしゃるのね。

「……っ! 美味しい……! ハーブの風味が強くて、それでいてさっぱり飲める。ブレンドティーなのに、双方の味が喧嘩することなく調和しているし、温度も完璧ですわ」
「そ、そうか……ミネルバが教えてくれたのだ」
「ミネルバ、様……? あ、前任の聖女様、ですか?」
「そうだ」

 確か、前任の聖女様はミネルバ・リコット様というお名前。
 久しくいなかった、貴族ではなく平民から聖女に選ばれた方。
 御歳八十歳までここでお勤めになられたのよね。

「そういえば……どうして前任の聖女様から五年もの間、新しい聖女を選出されなかったのですか?」

 聖女は魔力を供給するためになくてはならない存在。
 ヴォルティス様とて聖女がいなければ、魔力が蓄積されて瘴気を生み出してしまう。
 瘴気が蓄積されれば魔物が生まれ、ヴォルティス様も邪竜に身を堕としてしまうのだ。
 国も人もヴォルティス様も、いなくては困る。それが聖女。
 それなのに、どうして五年も? 

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