『竜の聖女の刻印』が現れたので、浮気性のあなたとはこれでお終いですね!
「ラック!」
「ヒヒーーーン!」
名を呼べば、ラックは翼を生やした立派な駿馬姿を変える。
さすがは最高純度の紫水晶から生まれた晶霊。
主人が願えば、それに相応しい姿になる。
こんなに立派な駿馬、本物の馬でもなかなかお目にかかれないのではないだろうか。
鞍や手綱までついているのだから本当にすごいわ。
「レイシェアラ! おお、なるほど! それで王都へ帰るのだな! 任せろ! どんなじゃじゃ馬であろうと、このニコラス・ヴァイオレットが乗りこなし、シュレ公爵家に送り届けようではないか!」
「ですから結構です。私は帰りませんので。殿下お一人でお帰りください」
「レイシェアラ……お前はそれほどに私の身を案じて……」
なにを 言っているのでしょうか この男は。
怖い怖い怖い。
本当になにを言っているのでしょう。
なにがどうしてそう聞こえたのか、本当に理解できなくて怖い。
同じ言語を話しているはずなのに、この盛大なすれ違いはいったいなんなの?
「しかしレイシェアラ! お前のことを連れ帰る、とベティたちに約束してしまったのだ! 私の身を案じてくれるお前の愛は嬉しいが、私を愛しているのなら王都に帰り、またベティたちを助けておくれ!」
「!」
…………ははぁ、なるほど。
「殿下、ちなみに殿下は今、王太子なのですか?」
「ん? 違うぞ。父上と母上は『レイシェアラを邪竜のもとから連れ帰って来るまでは、お前は王太子ではない』とおっしゃった」
「…………。そうですか。なるほど?」
それ絶対言ってませんよね?
なにをどうご説明なさったのかはわかりませんけど、陛下と王妃様の苦労が偲ばれますね……。
きっと懇切丁寧に、幼児相手でもわかりやすいよう噛み砕いて説明したのでしょうに。
なにをどう解釈したのかわからないけれど、多分ご自分の都合のいい妄想と織り混ぜ、それを「王侯貴族は言葉の裏を読むべし」の理屈に合わせてそう結論づけたのでしょう。
それは言語を正しく理解し、含められた言葉の意味を噛み砕ける能力があって初めてできる技術。
腹芸以前に申し上げた言葉が全部都合よく聞こえるあなたには、到底無理な芸当ですわ。
それと、ベティ様たち——たち、ということは、複数の令嬢がニコラス殿下の話を鵜呑みに……は、さすがにないと思いたいけれど、この方の言うことを信じているふりをしなければならない方は少なくないだろう。
特に子爵家以下の、権力が弱い家の令嬢は。
元々五番目以降の婚約者は半数近くが見目と殿下への同情だけで選ばれ、王家と公爵家が後ろ盾となり支えていた。
殿下が地位を失えば、少なくとも公爵家からの支援は打ち切り。
となれば残るのは王家の支援。
しかし、殿下との婚約破棄、または白紙を行えばそれも終わり。
正式に国への支援を求めれば、今度は貴族として領地を経営する技量がないと自己申告したことになる。
領地と爵位を取り上げられ、家族と領民は次の領主が決まるまでは路頭に迷う。
そんな彼女たちと彼女たちの家、領民の救済は、最近話し合いが始まったばかりだった。
最優先すべきはこのアホを王太子の座から引き摺り下ろすことであり、そのための根回しは有力貴族から行われる。
どうしても、婚約者で家の力の弱いものは後回しにされてしまうのだ。
私の方でも動きたかったのだが、元凶が日々ハッスルしておいででなかなか難しかった。
ルイーナたちに手伝いを頼んでいたけれど、ルイーナは伯爵令嬢だし侯爵令嬢のイザベラとエリーは次の婚約者探しを優先していたからやっぱりどうしても手が届かない。
貴族である以上、どうしても自分たちでどうにか立ち回ってほしい、と手紙は出したけれど……やはり難しかったわよね。
親とも相談しなければならないだろうし、彼女らの実家もまさかこんなに早く私とニコラス殿下の婚約解消がなされるとは思っていなかっただろう。
私もこんなスピードで解消されるとは思ってなかった。
諸々の書類なども必要だったから、最低でも一ヶ月はかかるとると思っていたもの。
なんかもう、シュレ公爵家の——両親の本気を見た、って感じ。
「婚約者たちを解放してあげてくださいませね、殿下。今のあなたでは彼女たちを守ることはできませんから」
「大丈夫だ! お前が帰ってくれば万事解決だ!」
「状況は変わったのです! 私は『竜の刻印の聖女』として、国を滅亡の危機から救わなければならない! あなたはなにをするのです? 婚約者たちを繋ぎ止めればその分彼女たちは苦しむ。彼女たちの苦しみも理解しようとしないで!」
「レイシェアラよ! いい加減我儘を言うのはやめろ! 見苦しいぞ!」
「…………」
ああ、本当に。
私の我儘、に見えるのですね。そう聞こえるのですね。
てはもう本当に知りません!
どうぞご勝手になさってください!
あなたではなく婚約者たちが哀れと思っての発言も、あなたは私の我儘にしか聞こえないのですから。
彼女たちも貴族。
あとはもう、この男からうまく逃げてくれるのを祈るばかり。
もう私はあなたたちの世話をしていられないの。
身の振り方は、ご自分たちでお決めなさい。
「もう無駄ね。ベル、私は行きます。この男をつまみ出しておいてください」
「かしこまりました、ご主人様」
「レイシェアラ!」
「ラック、参りますわよ!」
「ヒーーーン」