『竜の聖女の刻印』が現れたので、浮気性のあなたとはこれでお終いですね!
『リンリン、リン』
「っ……ベル……なにか、食べ物……」
『リンリン』
うう、一気にきましたわ。
お腹の音も鳴らないほどの……いえ、せめて水……水!
『リン——』
気絶。
私の意識はプツリと途切れた。
ああ、情けない……でも、ベッド気持ちいい。
***
リン……チリリン……リン
「んっ……」
いい匂い。
それに、鈴の音?
うっすら目を開けると、美しい金の短髪のメイドが顔を覗かせた。
「起きられましたか? お食事をお持ちしました」
「? あなた、は?」
「ベルです」
「え」
竜の塔には聖女とヴォルティス様しか住めない。
なぜなら、竜の魔力はそれほど強大だから。
刻印がなければ、私も住むことはできないだろう。
聖女の仕事はこの超高濃度の魔力を王都に送り、王都から国中に魔力を拡散して人々の生活を支えること。
そして超高濃度ゆえに瘴気を発生させてしまう竜王様を、瘴気からお守りすること。
だから聖女には聖魔法適性と、一定以上の刻印を宿しても問題ない魔力量を有していること。
だから、ベルと名乗ったその女性がこの塔にいるのはおかしい。
一体何者——……ん? ベル?
「ベルって、え? まさか……」
「はい、先程召喚していただきました。晶霊ベルです」
「ど、どういうことなのかしら!?」
晶霊が私と同じぐらいに大きくなって喋ってる!
え、ど、どういうことですかね?
晶霊って成長、するの?
それに……。
「ごくり」
ラックに美味しそうなポトフとドリアが。
え、な、なに、これは、た、食べてもいいのでしょうか!?
というか、誰がこれを?
「ご主人様の記憶をお借りして作ってみました。お口に合うと思うのですが」
「え! あ、あなたが作ったの!?」
「はい、ご主人様はすでに“刻印”をお持ちですから、本来なら飲食をせずとも魔力で生きていられますが……」
「! そ、そうなのですか」
「はい。ですが、まだ空腹を感じるようですので勝手ながら。どうぞ」
「あ、ありがとう。それではいただくわ」
私が気絶する前に願ったから、その願いを晶霊であるベルは叶えようとしてそれにもっとも適した姿になったのね。
私とて公爵家の娘。
常日頃侍女が控え、身の回りのことは全部やってくれた。
けれど、やんごとないアホ様が私の侍女にまで手を出すものだから、学園に通うようになってから連れ歩かなくなったのだ。
屋敷と学生寮の部屋に待機させ、学園の中では自分のことは全て自分でやる。
そうでないと私の大事な侍女たちが、あのアホのお手つきにされてしまう。
婚約者の! 私の! 侍女たちを!!
それほど許し難いことがあるでしょうか?
婚約者を増やされることより堪え難かったのですよ、ええ、それはもう。
なので、迫られれば昼食を作ったりもしていた。
あのやんごとないアホが唐突に「俺を愛する婚約者たちの手作り料理が食べたーい」とか抜かしおるから……あ、いえ、言い出すから。
婚約者たちの中でお前のことを愛している者などただの一人もいなかったですけどねぇーーー!!
……とは口が裂けても言えませんけど。
それに、他の子たちだって身の回りのことを侍女に頼んでいる、良家のご令嬢ばかりだったもの。
料理なんて作れるわけがないのです。
まあ、経済的に困っていた家の子の中には料理できる子もいたけれど。
私はそういう子たちに被害が及ばぬよう、接点を減らすために代わりに料理を作って持って行ってあげていたっけ……。
あ、もしかしてそれで「他の婚約者の出番を奪ってまで尽くしてしまうほど、レイシェアラはニコラス殿下を愛している」とでも思われていたのかしら?
うふふふふふふふふふふ、吐く。
いえ、吐いてはダメよ、レイシェアラ。
まだ食べてすらいないわ。
「いただきます」
走馬灯のように学園生活の記憶を振り返ってから、木の匙でポトフをすくう。
口に入れると野菜がほわ、とほぐれて、甘みが広がった。
ふあ……おいひ……。
「美味しいです! 本当に私の知っているレシピで作ったのですか?」
「はい」
「信じられない。こんなに美味しいものを食べたのは初めて……」
もちろん、公爵家のシェフや学園食堂や寮のシェフも素晴らしかったわよ。
これは空腹によるものでと思うわ。
「…………」
「ご主人様?」
「あら……? おかしいわね……? どうしたのかしら」
ぽた、ぽた、と。
スープの中に水滴が落ちる。
涙。
どうして、私が泣いてる?
どうして?
「……きっと安心してしまったのね」
指で涙を拭う。
窓の外は、もうすっかり暗い。
けれど、星は微かに瞬いている。
慣れた実家の窓でも、通っていた学生寮の窓とも違う、新しい窓。
私はもう、侯爵令嬢ではない。
あのやんごとないアホの婚約者でもない。
この国を支える雷の竜王ヴォルティス様に選ばれた、『竜の刻印の聖女』となった。
国母とは違うけれど、この国のために身を捧げることができる。
私の誘拐、監禁の苦情はこれを食べ終わったあとお手紙にしたためさせていただくとして——それが公になればいよいよあのやんごとないアホはただのアホとして廃爵されることだろう。
私が国にしてあげられる最後のお土産として、あのアホをしっかり失脚に導いてほしい。
さすがに陛下も庇いきれないものね。
……本当に……よかった……。
あのアホが国王にならなくて!
本当に!
「安心で涙が止まらないわ」
「ご主人様、お代わりまだあります」
「いただくわ」