愛人でしたらお断りします!
始まりの鐘が鳴りました


ゴールデンウィーク明けの都内は、気怠い雰囲気に包まれているようだ。
道行く人々も連休の疲れからか、いつもよりゆっくりと歩いている。

青山通りの渋谷側から入った細い路地奥に、古いレンガ造りのビルがある。
壁一面がアイビーで覆われていて、なんの店なのかちょっと見ただけではわからない。


ここは隠れ家的なフレンチレストラン『ル・リエール』だ。
噂では、密会するタレントや政財界の重鎮が顔を見せることもあるらしい。
一階はカウンターといくつかのテーブル席、二階には個室が数室ある。
平日の昼下がり。店はディナーまでは客を入れないクローズの時間帯だが
個室のひと部屋に若い女性が座っていた。
女性、というより少女に近い。
ふっくらとしたピンクの頬は、まだ熟していない桃のようだ。

彼女は、栢野椿(かやのつばき)23歳。
短大で製菓衛生師の資格を取ったあと、パリの製菓学校で修行した駆け出しのパティシエールだ。
お洒落なレストランに来ているというのに、彼女は地味な紺のワンピース姿で目の下の隈は薄化粧では隠しきれていなかった。

『助けて……』

思いつめた表情で身動きひとつせず、両手を膝の上で強く組んで座り続けている。

『助けて、(そう)ちゃん……』

彼女の頭の中には、その言葉しか浮かんでこない。






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