愛人でしたらお断りします!
「椿!」
拓真とふたりきり話していたら、蒼矢の声が聞こえた。
珍しく廊下を走ってこちらに向かってくる。
社内ではよそよそしいくらい秘書として接している蒼矢が、今は椿を名前で呼んでいた。
「あ、お帰りなさい。あちらはいかがでした?」
「問題ない。椿が社長室にいないから探したよ」
「ごめんなさい。新しいレシピの話で盛り上がってしまって」
「それなら連絡を入れるように。心配するじゃないか」
いつになく、蒼矢の小言が長かった。
「ごめんなさい。それじゃあね、拓真君。レシピの仕上げよろしく」
「ああ、任せろ」
蒼矢と拓真は一瞬だけ視線を交わしたが、お互い会釈のみでなにも話すことはなかった。
「いくぞ」
蒼矢に促されてエレベーターに乗り込むと、彼は椿の腕をいきなり掴んできた。
「椿、アイツとなにを話し込んでいたんだ?」
「アイツ? 拓真君のこと?」
蒼矢の言いたいことがわからず、椿は首を傾げる。
「社内だから、そのくんって呼び方はやめろ」
「今、そうちゃ……久我さんだって、普段の話し方になってるよ」
「あ……」
やっと椿を名前を呼んでいたことに気がついたのか、蒼矢は口ごもって誤魔化すような咳ばらいをした。
「とにかく、彼は親戚とはいってもあの聡志の息子だ。気をつけた方がいい」
従兄妹のことを悪者と決めつけた言い方をされて、さすがの椿もカチンときた。
「たくま……いえ、栢野開発係長は優秀なパティシエです。新製品の開発に欠かせない人だわ。開発部のみなさんは、私のイメージを具現化してくれる大切なスタッフです!」
わざとらしく役職名で拓真を呼び、椿は蒼矢に初めて口答えした。