愛人でしたらお断りします!
出来上がったシュークリームを箱に詰めて、椿はお隣に向かった。
もちろん、枝折戸からだ。金木犀がそろそろ咲き始めていたので微かに香っている。
久我家の和風庭園を抜け、玄関の古めかしいチャイムを鳴らすと家令の市岡がすぐに顔を見せた。グレーヘアが温和な顔に良く似合っている。
市岡は若いころはKUGAコーポレーションの秘書課に勤めていたが、
細やかな気配りができることから、久我家の差配を任されていた。
椿と蒼矢にとっても、幼い頃から世話になった身近な存在だ。
「これは椿様、いらっしゃいませ」
そろそろ50代も後半の市岡は、思いっきり目尻にシワを寄せて微笑んだ。
「市岡さん、蒼ちゃんはまだですか?」
「はい、今日は取引先との急な会食だとかで……そろそろお帰りかと思います」
「会食だったんですか……知らなかった」
「突然お声が掛かって、断ることもできなかったらしいんですよ」
秘書として身近にいるのに、椿は彼の予定を知らなかったことで落ち込んだ。
チョッと悲し気な表情になった椿を、市岡がさり気なくフォローしてくれている。
「これ、いつものですが皆さんで召し上がってください」
「おや、椿様の手作りでござますね」
甘党の市岡は目を輝かせた。
「シュークリームです。お早めにどうぞ」
「嬉しゅうございます。椿様のは、お店のシュー・ア・ラ・クレームと違って
なんと申しますか、優しいお味でございます」
「そんな……でも、嬉しいわ。市岡さんが気に入ってくれて」
「お茶でもいかがでございますか? 蒼矢様にご用があったのではありませんか?」
「少し聞きたいことがあったのですけど、急ぎませんので」
「わかりました。お見えになったことは必ずお伝えいたします」
律儀な市岡はケーキの箱を受け取りながら、しっかりと約束してくれた。