愛人でしたらお断りします!

  

いつもは蒼矢が栢野家を訪ねてくれているから、椿が久我家のチャイムを押すのは久しぶりだ。
いつだったか、『ふたりの関係はなにか』と蒼矢に問われた答えを知りたくて訪ねて以来だった。

重々しいチャイムの音が響く。
すると古風な木製の引き戸を開けて、家令の市岡が笑顔で出迎えてくれた。

「こんばんは」
「椿様、いらっしゃいませ」

いつも通りの市岡の声に安堵すると、椿はバスケットを掲げた。

「クッキーを届けに来たの。チョッとお邪魔しますね」

バスケットの中を見せると、市岡は相好を崩した。

「どうぞどうぞ。蒼矢さんは離れにいらっしゃいますよ」

「じゃあ、おじゃまします。これ、市岡さんと朔太郎(さくたろう)様の分です」

椿はバスケットの中からラッピングをしたものを手渡した。

「また綺麗な市松模様と渦巻でございますね」

「渦巻は朔太郎様のお好きなシナモン風味で、市松模様はココアとバニラです」
「社長がこのクッキーに目が無いのをよくご存じでいらっしゃいますねえ」

市岡は嬉しそうに頷きながら椿の答えを聞いていた。

「市岡さんはシュークリームを褒めてくださるし、朔太郎様はクッキーを何枚でも召し上がるんですもの」
「社長はただいまヨーロッパでございますが、三日後には帰国なさいます」

「今夜はお留守なんですね。では、朔太郎さまの分は冷蔵庫にしまっておいてください」
「わかりました」

市岡に「自分はそろそろ帰るから、どうぞご自由に」と言われ、椿は微笑み返した。
それから奥の蒼矢の部屋に向かった。


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