愛人でしたらお断りします!
『椿ちゃん、どうする? まだ逃げ続けるのかい?』
椿が久我蒼矢から身を隠していると知った律希は、逃げ続けられるのも時間の問題ではと考えたようだ。
『逃げる? いいえ、帰れないだけなの』
律希は椿の言葉を聞いて、その違いがよくわからないという顔をした。
あの頃は確かに逃げたのだが、今の椿にはどうしても東京に帰れない理由があった。
椿はあの一夜で妊娠していたのだ。
***
芦屋の店になじんだ頃、体調の変化に気づかずに働いていた椿は仕事中に貧血を起こしてしまった。
慌てて律希が近くの病院へ連れて行ってくれたのだが、
律希のかかりつけ医だという老年の医者は、『おめでたですね』とニコニコしながら話しかけてきた。椿を律希の恋人だと勘違いしたらしい。
『まさか……』
椿は、たったひと晩だけで妊娠するとは思ってもいなかった。
初めての経験だったし夢心地だった椿には、蒼矢が避妊したのかどうかすら記憶にないのだ。