愛人でしたらお断りします!
「話す前に、ひとつ確認させてほしい」
擦れた声で、拓真がようやく話し始めた。
「なにを?」
「あなたは椿をどうするつもりなんだ? 愛人にでもしたいのか?」
「はあ?」
ピンと張り詰めていた空気が一気に緩んだ。蒼矢は、意味がわからないと言うように眉をひそめた。
「どうして椿が俺の愛人なんてことになるんだ。それに、君にそんなことを話す必要はないだろう?」
「僕だって椿を守りたいからだ! あなたは、どこかの令嬢と結婚するんじゃないのか?」
どこで拓真が耳に挟んだのか知らないが、いつか無理やり食事会だと騙された日のことだと蒼矢は察した。
あれ以来、あちこちで春日あかねが蒼矢との関係をふれまわっているのは知っている。事実無根だから放っておいたが、まさか拓真の耳にまで入っているとは思わなかった。
「あの話は違う。俺も、いわば被害者だ」
いきなり女性を紹介されたのも初めてではない。蒼矢にとっては仕組まれた見合いなど取るに足らないことだった。
「あなたには女性との噂もあった。……でも、椿のことは」
「誰より、なにより大切に思っている。でなきゃ、こんな秘書なんて損な役割を俺がするわけないだろ?」
いい加減腹立たしくなってきた蒼矢は『椿は誰より大切だ』とはっきり拓真に言いきった。
「ああ、やっぱり本気だったんだ……」
蒼矢の正直な言葉を聞いて、やっと拓真の顔に生気が戻ってきた。
父親の悪意から正気に戻ったというべきか。
やっと拓真は蒼矢を真正面から見つめると、淡々と話し始めた。
「あなたを信じて、すべてお話します」
ふたりだけの話し合いはしばらく続いた。
やがてすべてを話し終えた拓真が去り、蒼矢だけが屋上に残った。
茜色に染まりかけた夕焼けを見ながら味わった苦い後悔という味を、蒼矢は生涯忘れないだろう。