溺愛ハンティング
「あ!」

 その時、帰りぎわのことを思い出した。
 かかってきた電話に出ようとして、それを近くの台に置き、そのまま忘れてきてしまったのだ。

「ごめんなさい! 私、うっかりして」
「いや……いいんです。追いつけて……よかった」

 八木さんは少し息を切らしていた。
 しかも今にも雪が降り出しそうな天気なのに、紺色のつなぎ姿で、マフラーさえしていない。

「あの、これを渡すために追いかけてきてくれたんですか?」
「はい」
「その恰好で?」
「ええ。間に合わないといけな――うっ」

 次の瞬間、八木さんがグワッションと盛大なくしゃみをした。

「すみません」

 頬を赤らめてグシグシと鼻をこする姿は、完璧なヴィジュアルにはとんでもなく不似合いだ。

「い、いえ」

 思わずふき出しそうになったが、俯いてなんとかこらえた。
 悪いのは私なのに、彼を笑うなんてありえない。

「私こそご迷惑おかけしてすみませんでした。わざわざ届けていただいて、本当にありがとうございます」

 頭を下げたとたん、また大きなくしゃみが聞こえた。

「大丈夫ですか?」
「あ、はい。全然平気です。ちょうどそこにカフェもあるし、コーヒー飲んで、あったまってから走って帰るので」
「でも――」
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