因縁の御曹司と政略結婚したら、剝き出しの愛を刻まれました
「またおばあちゃんちの布団で寝たいよ。いい匂いなんだもん」
「ああ、あれはお線香の香りね。うちには仏壇がないから……」
残念そうに母親が話すのを見て、俺は思わず着物の懐に手を入れた。
指先が触れたのは、文香を包んでいる友禅紙のやわらかな感触。着物の防虫に使用する樟脳の匂いを消すため、俺は匂い袋より軽く目立たない文香をそこに忍ばせておくのが習慣なのだ。
女の子の求める線香の香りとは違うだろうが、一時的にでも慰めになればと、俺は市松模様の文香をスッと女の子の母親に差し出した。
「よかったらこれを。線香に似た香りがします」
「えっ? これは……?」
「粉末にした白檀の香木を和紙に包んであるものです。私は次で降りますので、差し上げます」
キョトンとする母親の手に文香を渡し、「失礼」と断って頭上の荷物を下ろす。
その間にちらりと母娘の様子を窺うと、女の子は母親の手にある文香に鼻を近づけていた。