囚われの令嬢と仮面の男
1.日常とコンプレックス
不気味な男に囚われた前日の朝へと、私の記憶は巻き戻る。
その日は起きて早々、不定期で見る夢に悩まされていた。
怖くて辛い内容の悪夢に、正直うんざりする思いだった。目尻からこぼれた涙の跡を拭いもせず、ベッドから起きだし、窓辺に立った。
サイドテーブルに置いておいた紫水晶のブローチを持ち上げる。少しだけカーテンを開いて陽にかざすと、白い壁に光の粒が舞った。
淡く耀く紫色を見つめて、そのときは平静さを取りもどしたつもりだった。
*
「マリーン! またなの? これで何度目のミスかしら。あなたといったら変な癖がついてしまったせいで、ミスタッチが多すぎるわ。それに十二小節目を飛ばして弾いたでしょう? もう少し気を引き締めてちょうだい!」
「……はい。すみません、ローランド先生」
「だいたい姿勢がよくないもの。……そうね。頭にこの分厚い本を載せて立つことからはじめなさい」
今日はもう弾かなくていいから、と続け、私はピアノの前から遠ざけられる。手には厚さ七センチほどもある古い教本が一冊。
肺にたまった重苦しい息を吐きだしたとき、ポロンと軽快な音色が五線譜をなぞるように流れてきた。