あなたを満たす魔法

第9話「じきに運命が追いつくから」

 休み時間に、親しい話し相手が居るということ。あかりにとっては、ほぼ初めての出来事で、気恥ずかしいやら嬉しいやらで、胸いっぱいになった。
 ──1限は深理とサボっていたが、2限からは授業に参加して、休み時間はそれとなく深理がやってきて、相手をしてくれる。クラスメイトたちは、あかりが他人と話していることに先ず驚いていたし、それに続いて、彼女が結び直してくれた髪や、スカートの短さ、第一ボタンの開け方などのラフな制服の着崩し方にも「なんかジミ川がいつもと違う……」と、揃って全員で驚いていたわけで。
 この学校は、元々偏差値がなかなかに高い高校で、勉強に熱を入れてはいる。が、その代わりに自由度があり、制服も清潔感さえあれば好きな格好で過ごすことが出来る。

「あかり、帰ろ」
「うん」

 一日の授業が終わると、共に帰宅部で、同じマンションに住んでいる2人は、自然と一緒に帰ることになる。置き勉ばかりで、先にマイペースに歩いて行ってしまう深理を追い、あかりはカバンへ教科書やノートを仕舞い終え、教室で好奇の視線を受けつつ、その場を後にした。
 深理は これといって、べらべらと話すタイプではない、少しクールな子だ。そのうえ、少々無愛想な部類に入る。菱山さんとは真逆だなとあかりは思っていたが、やはり惹かれ合うのは別々の気性であるからなのだろうか。似たり寄ったりな人間でつるんでいても、新しい世界を見つけることは、あまり出来ないからだ。
 ──学校を後にし、特に会話もないまま、過ぎ行く帰り道。深理の半歩後ろを歩いているあかりだが、どこか不安が過ぎった。自分と話さないのに傍にいて、楽しいのだろうか、と。いや、……楽しいわけがない。そう心底思う。自分は深理のように派手で可愛くもないし、少しスカートを短くして髪を結った程度の、なんだかやはり、どこか垢抜けない女子高生だ。楽しくないのに、いいのかな。どうしよう。「あの。深理ちゃん」思い切って、声をかけた。深理は振り返る。「何?」

「あの……。わたしと居て楽しい? わたし、話すのヘタだから……」
「ん、まあ、あんま楽しくないよ」

 やっぱりそうか。あかりは気落ちするも、「そう、だよね」と視線を落として頷いた。
 またしばらく沈黙が流れていたが、深理は前に向き直ると思わぬことを口にした。

「でも、居心地は良い」
「……え?」

 拍子抜けし、視線を持ち上げて深理を見る。

「あんたって、オドオドしてて確かにウザイけど。気配りが出来るっていうのかな。だから、わたしが愛想ない分、色々考えてるみたいだし。ある意味頼りになる」
「そ。そんなことないよ。だってわたし、本当に、ただ深理ちゃんといられるだけで嬉しいし、幸せだから……それだけなんだ」

 それだけ。──それ以上は求めない、といったようすであかりは目を伏せてそう言った。深理は黙っていたが、少し立ち止まって自分を待つと、パン! と背中を叩いた。「い゛っ」あかりは うずくまり、痛がっていたが。

「湿気たツラすんじゃないの。わたしはあんたの傍に居たいから、居るだけ」
「み、深理ちゃん……」
「居たくないなら、さっさと離れてるっつーの。ほら、行こう」
「……!」

 あかりは、差し出された手に驚いた。手を繋ごうとしてくれているのだろうか。惚けて赤くなっていると、少しだけ無理矢理に手を攫われる。決して、ぽかぽかと暖かい手ではないけれど、その手は。

  ──優しい手……。

 悲しみさえも不安さえも包み込むような、温度。まさにそうだった。

「……ありがと、深理ちゃん……」

 不意にその優しさに、初めての友達の温度に、またも泣きそうになった。



 家に帰り、今日は家にある物で夕食を作ろうと思いつつ、部屋に入る。一人の時は、施錠をきちんとしろと家永に言われていたので、鍵をきちんとかけた。
 ふう、と息をつくと、初めての友達と繋いだその手を見つめて、胸が温かくなる。深理は冷たく見えがちだけれど、無愛想に見えて、怖そうに見えて──温かくて、優しくて、とても頼りになる。そんな少女であることを、文字通り肌に感じ、小さく手をくしゃりと握って居間へ向かうと。

「おかえりー、あっちゃん」
「!?」

 そこには、先日家永と出したばかりのこたつに、なんと菱山が入っていた。相変わらず、人のよさそうな笑顔を浮かべながら手をひらつかせて、みかんを食べながらテレビを点けてバラエティ番組を観ている。部屋間違えた!? 辺りを見渡してもここはどう見ても、家永の部屋だ。混乱し、菱山を見て言葉を失っていたが、彼は軽快に笑って。「合鍵使って入ったんだよー」

「驚かないでって。いや、無理か、驚くか。うん」
「び、びっくりしました……」
「びっくりさせましたー。いやね、給料日前で金なくて! 家永さんちで、メシ食えばいーやって思って。だから従妹もそろそろ来ると思う」
「あ、えと……深理ちゃんですか?」

 問いかけると、ああ。と、菱山は嬉しそうに笑って頷いた。「仲良くなった頃かなって」

「あいつ愛想ないうえ、あの外見じゃん? 友達あんまいなくってね。多分、てか絶対あっちゃんにも迷惑かけると思うけど、仲良くしてやってくれたら嬉しいかな。根は真面目で、いいやつだから」
「迷惑だなんて……でも、いい子なのは、本当に。すごく、しっかりしてる子と思ったので」

 うがいして、手を洗ってきます、とカバンを置いて居間を後にすると、菱山もこたつから出てきてついてきた。さみー、と言っている彼であるが、ちゃっかり家永のちゃんちゃんこを着ている。苦笑してあかりは頷き、「御夕飯は温かい物にしましょう」と洗面所へ行くと、腕を捲ってよく手を洗い、うがいをする。菱山さんは洗いましたか? 問いかけると、一応入ってすぐ洗ったよ。と、彼は笑っていた。

「てか、今日あっちゃんてば、髪型可愛いねー」
「ありがとうございます」
「家永さんがやってくれたの?」
「あ、えと……。やってくれたんですけど、学校で崩れちゃって」

 深理ちゃんがやってくれました。そう言うと、菱山は、マジで? と驚いていた。何かびっくりだったのかな、と思うと。バターン、と扉が開く音がする。え、と揃ってそちらを見ると、ドドドド! ──けたたましい駆け足な足音と共に現れたのは。なんと、仕事中であるはずの、家永だった。「い、家永さん!?」

「お、おい、お前、首絞められたってマジか!?」
「え、ええ?」
「髪型崩されて……ああ、シュシュ取られかけたって……い、生きてるのか?!」
「い、生きてますよ、そりゃあ」

 肩を掴んで、迫真の表情で問いかけてくる家永に、あかりは冷や汗交じりに苦笑して頷く。

「本当に、本当に平気ですよ」
「本当に、本当に本当に!?」
「はい。でもなんで家永さんが、それを……、っ……!」

 肩の骨も砕けそうなほど、激しく抱きしめられる。「い、家永さん?」驚いてあかりは慌てていたが、抗える力の強さではないのだ。息が止まるほど、止まってしまいそうなほど。ギュッと抱きしめる彼の温度は、本当に優しいどころでなく、“熱い”。……

「よかった……!!!」

 ──そこまで、自分はこの人の中で、大きくなっていたのだろうか。そうおぼろげに思う通り、あかりは家永の中で知らず知らずのうちに、とても大きな存在となっていた。
 異性として意識をするということもないわけではないのだが、一番はやはり自分のために甲斐甲斐しく、立ち働いていたこと。自分なりに、髪の手入れや肌の手入れをしていたこと。その姿勢が、年上であり、従兄分であり、美容師の家永の胸を撃つには当然のことでもあったのだ。

 あかりは、家永にされるがままに抱きしめられていたが、目を伏せて赤くなった後に手を伸ばして、そっと彼の背中へ手を回す。広い背中に触れているその手の震えは、恐怖なんかじゃない。きっと。

「心配、してくださって……ありがとうございます……。」

 この関係が壊れてしまわないように、保ち続けようと必死である、自分の少しの欲望と大きな健気さが、芽生えたゆえの震えだったのだろう。……

「で、いつまでそうやってんの?」
「家永さんたら大胆な上、ダイナミックー! ドラマみてぇ」

 ぱちぱちぱち、と拍手をしていたのは、あとから駆け付けた深理と、その様子を見ていた菱山だった。深理は仏頂面だったが、菱山は、にやにやしながらいやらしい笑みを浮かべて笑っている。2人は途端に離れ、あかりは「み。深理ちゃん……!」と返す言葉もなかったが。
< 15 / 25 >

この作品をシェア

pagetop