あなたを満たす魔法
「お前の手入れがされてない、ボサボサ頭にどれだけ効くか」
「……ボサボサ……」
「見どころだろ。もう日も沈んだし、とりあえず風呂入って使ってみ。さっき沸かしたから」
「い、いいんですか? あ、でも……御夕飯は、わたしが」
「今日は、いい。疲れてるだろ。俺が作ってやる。明日から頼む」
「カルボナーラ平気か?」あれ俺スゲー作るの、上手いんだわ。小さく笑い、家永は風呂場への脱衣所を指差して、行って来いと目で言う。試供品を見つめて少し悩んだようであったが、あかりはコクリと頷いた。
「えと、わかりました。ええっと、カルボナーラは、好きです。平気です。こちらは、大切に、丁寧に、使わせていただきますね」
「ああ。手順はわかるか? シャンプー、トリートメント、リンスの順だぞ」
「え? リンスのあとに、トリートメントじゃないんですか?」
「ちげーよお前」
たまに勘違いしてる人居るけど、シャンプーで頭皮を洗ったあと、トリートメントで傷んだ髪を補修して、リンスで髪を保護してダメージから守るんだよ。──そう説明され、ずっと間違えていましたと、あかりは感心したようすでつぶやく。
「まあ、他にも勧めたい使い方はあるけど。とりあえず自分なりに、さっき言った最低限のことだけ守って使ってみな」
「はい。わかりました」
「お風呂、お先にいただきます」そう言って、ごちそうさまでしたとティーカップを手にして洗いに行こうとした。が、そのままでいいからさっさと入れとため息をつかれるので、慌てて部屋へ入り、下着と寝巻きを用意してお辞儀をすると、あかりは脱衣所へ走った。
はあ。息をつき、家永は1人で静かになった部屋の中、少し黙っている。席を立ち、ティーカップを流しでよく洗い、丁寧に拭いて、戸棚に仕舞っていると。その間、風呂場からシャワーの音が聞こえてきて──手を止めたが、妙に意識をしている自分が居て頬を叩く。もう一度息をついたあとに手を拭き、スパゲティをゆでるべくお湯を沸かしていると、先ほど荷物整理中に耳に入れたあかりとの会話。
『こういう風に……誰かと何かをするって。とっても、久しぶりです』
少し赤くなって目を伏せつつ、あかりは手を動かしながらそう言っていた。そんなもんか、と問いかけると、彼女は浅くも頷く。
『母が居なくなって、わたし、まともに生活出来ていなかったので……。家永さんのような人の傍に居られるだけで、少し楽しいです』
その言葉に、家永は、なんだかよくわからない感情を抱いた。とても不憫であるという想い、同時に、自分という存在が彼女の心の中で活きているという嬉しさ。
(陰で泣くことが、減ればいいんだけどな。)
恐らく、毎晩毎晩、枕を濡らしていたのだろう。身寄りもなく、学校でも居場所がない。父親のことはよく知らないが、その男はあかりと妻を放り、どこかへ行ってしまった男だ。あかり自身も、父の顔など憶えてもいないと先ほど言っていた。それなら、ある意味では天涯孤独という境遇にあたるとも言える。
(天涯孤独。どんな気分なんだろう)──少し手を止め、考えてみる。自分は父と母がそろっているし、弟だって居るし、両家の祖父母だって学生時代には居た。学校でだって、友人が居なかったわけでもないし、今のあかりと同じ高校時代では、中学からたまたま続けていて、心血注げるバスケットボールに青春を捧げた。文武両道の学校で勉強とスポーツ、そして友情や時折恋愛などに浸ったのだ。はたから見たりしなくたって、平凡な人生だ。自分は、とても恵まれている。
けれどあかりは。彼女は、友人と呼ぶ存在が出来たことがないと、言っていた。暗い性格と雰囲気が災いし、染川という美しい字列の名字でさえ“ジミ川”と嫌味なあだ名をつけられて、学校で呼称されているとも、苦笑して言っていた。名前はおろか、両親との繋がりであった姓さえ、きちんと呼ばれない。ああ金払うから学校の奴ら全員撲殺してえ、──舌打ちをする。どうあったって、血こそ繋がっていないが、可愛い親戚の従妹分ではあるのだ。それに、話していて気が付いたが、あかりはとても心配りができる人間で、人の気に障らないように必死に周りをよく見ている。なのにその人間性を、容姿が暗いからと色眼鏡をかけて決めつけ、腹の立つあだ名をつけて呼び、女の命とも言える髪へガムまで、付ける虐げを行う。虫唾の走る輩ばかりで、教師は何も言わないのかと問うが、どの先生も見て見ぬふりですよ、と。悲しそうに笑っていた。
キッチンを殴って、痛みが返ってきて打ち震えて自己嫌悪に陥る。床を蹴りたいところだが、ここはマンションなので、大きな音はさすがに立てられない。実家暮らしが懐かしい、と感じた。
(何でもいいから、自然に心から笑ってくれさえすれば気が楽なのに。)
出会ったばかりの彼女にそんなことを考え、妙なもんだなと思いつつも、心のどこかではその理由がわかっていた。お湯に塩を入れ、料理をする手を再び動かしはじめた。キッチンを殴った拳が熱を持ち、じんじんと痛むので「痛え。」──小さく漏らす。
不思議と息がしづらく静かでいて、あかりの浴びるシャワーの音だけがよく耳に届いていた。
next.
「……ボサボサ……」
「見どころだろ。もう日も沈んだし、とりあえず風呂入って使ってみ。さっき沸かしたから」
「い、いいんですか? あ、でも……御夕飯は、わたしが」
「今日は、いい。疲れてるだろ。俺が作ってやる。明日から頼む」
「カルボナーラ平気か?」あれ俺スゲー作るの、上手いんだわ。小さく笑い、家永は風呂場への脱衣所を指差して、行って来いと目で言う。試供品を見つめて少し悩んだようであったが、あかりはコクリと頷いた。
「えと、わかりました。ええっと、カルボナーラは、好きです。平気です。こちらは、大切に、丁寧に、使わせていただきますね」
「ああ。手順はわかるか? シャンプー、トリートメント、リンスの順だぞ」
「え? リンスのあとに、トリートメントじゃないんですか?」
「ちげーよお前」
たまに勘違いしてる人居るけど、シャンプーで頭皮を洗ったあと、トリートメントで傷んだ髪を補修して、リンスで髪を保護してダメージから守るんだよ。──そう説明され、ずっと間違えていましたと、あかりは感心したようすでつぶやく。
「まあ、他にも勧めたい使い方はあるけど。とりあえず自分なりに、さっき言った最低限のことだけ守って使ってみな」
「はい。わかりました」
「お風呂、お先にいただきます」そう言って、ごちそうさまでしたとティーカップを手にして洗いに行こうとした。が、そのままでいいからさっさと入れとため息をつかれるので、慌てて部屋へ入り、下着と寝巻きを用意してお辞儀をすると、あかりは脱衣所へ走った。
はあ。息をつき、家永は1人で静かになった部屋の中、少し黙っている。席を立ち、ティーカップを流しでよく洗い、丁寧に拭いて、戸棚に仕舞っていると。その間、風呂場からシャワーの音が聞こえてきて──手を止めたが、妙に意識をしている自分が居て頬を叩く。もう一度息をついたあとに手を拭き、スパゲティをゆでるべくお湯を沸かしていると、先ほど荷物整理中に耳に入れたあかりとの会話。
『こういう風に……誰かと何かをするって。とっても、久しぶりです』
少し赤くなって目を伏せつつ、あかりは手を動かしながらそう言っていた。そんなもんか、と問いかけると、彼女は浅くも頷く。
『母が居なくなって、わたし、まともに生活出来ていなかったので……。家永さんのような人の傍に居られるだけで、少し楽しいです』
その言葉に、家永は、なんだかよくわからない感情を抱いた。とても不憫であるという想い、同時に、自分という存在が彼女の心の中で活きているという嬉しさ。
(陰で泣くことが、減ればいいんだけどな。)
恐らく、毎晩毎晩、枕を濡らしていたのだろう。身寄りもなく、学校でも居場所がない。父親のことはよく知らないが、その男はあかりと妻を放り、どこかへ行ってしまった男だ。あかり自身も、父の顔など憶えてもいないと先ほど言っていた。それなら、ある意味では天涯孤独という境遇にあたるとも言える。
(天涯孤独。どんな気分なんだろう)──少し手を止め、考えてみる。自分は父と母がそろっているし、弟だって居るし、両家の祖父母だって学生時代には居た。学校でだって、友人が居なかったわけでもないし、今のあかりと同じ高校時代では、中学からたまたま続けていて、心血注げるバスケットボールに青春を捧げた。文武両道の学校で勉強とスポーツ、そして友情や時折恋愛などに浸ったのだ。はたから見たりしなくたって、平凡な人生だ。自分は、とても恵まれている。
けれどあかりは。彼女は、友人と呼ぶ存在が出来たことがないと、言っていた。暗い性格と雰囲気が災いし、染川という美しい字列の名字でさえ“ジミ川”と嫌味なあだ名をつけられて、学校で呼称されているとも、苦笑して言っていた。名前はおろか、両親との繋がりであった姓さえ、きちんと呼ばれない。ああ金払うから学校の奴ら全員撲殺してえ、──舌打ちをする。どうあったって、血こそ繋がっていないが、可愛い親戚の従妹分ではあるのだ。それに、話していて気が付いたが、あかりはとても心配りができる人間で、人の気に障らないように必死に周りをよく見ている。なのにその人間性を、容姿が暗いからと色眼鏡をかけて決めつけ、腹の立つあだ名をつけて呼び、女の命とも言える髪へガムまで、付ける虐げを行う。虫唾の走る輩ばかりで、教師は何も言わないのかと問うが、どの先生も見て見ぬふりですよ、と。悲しそうに笑っていた。
キッチンを殴って、痛みが返ってきて打ち震えて自己嫌悪に陥る。床を蹴りたいところだが、ここはマンションなので、大きな音はさすがに立てられない。実家暮らしが懐かしい、と感じた。
(何でもいいから、自然に心から笑ってくれさえすれば気が楽なのに。)
出会ったばかりの彼女にそんなことを考え、妙なもんだなと思いつつも、心のどこかではその理由がわかっていた。お湯に塩を入れ、料理をする手を再び動かしはじめた。キッチンを殴った拳が熱を持ち、じんじんと痛むので「痛え。」──小さく漏らす。
不思議と息がしづらく静かでいて、あかりの浴びるシャワーの音だけがよく耳に届いていた。
next.