成人女性
 フィルム映画とは本当に不思議なもので、名画座でなくともパソコンで見ていてもフィルムの写す世界に引き込まれてしまうのである。
 当然画面は白黒で、サイレント映画を見る時もあるし、ものの状態によっては途切れがあったり、劇中の音声が聞き取りづらかったりすることもある。
 現代の映画より音響や照明といった技術は進んでいなければ、CGなどの効果もない。
 ただ、だからこそ役者がカメラの前で演技をする姿から、彼ら彼女らの所作や台詞に、またはそこから作られる登場人物の感情に集中することができるのであると思える。
 七、八十年前の映画であれば言葉や考え方に違いがあるのは当然で、「久しぶり」を「(しばら)く」と言い、山の手言葉が色濃く残り、自由恋愛が不純な風潮や縁談結婚が常識の世界、男性優位社会など我々からすると「歴史」の分類に入る世界観がそこにはある。
 しかし、どれも現実味を帯びている。
 私が直接見たことのない世界であるはずなのに、まるでその場で同じ景色を見ているような気分になる。
 空は青く、木や丘は緑に、街の喧騒が聞こえ、風が吹いてくるのを感じる。
 現在の世の若者が言う「結末だけで十分」などということは到底思われず、むしろ同じ作品を何度も見返したくなるのだ。

 私の日本のフィルム映画の好きなところは劇中だけの話に留まらない。見落としてはならないのが題字である。
 逆を言えば、私は現代邦画のタイトルを嫌っている。
 現代の日本の映画のタイトルは、映画の全容を説明してしまっている。
 誰とかがどうにかして何があってこうなった話、非常に長い題字だ。
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