undercover
また告白をされたよ。氷渡(ひわたり)は、部活の後の部室掃除当番の仕事中、マネージャーである佳乃(かの)に笑いかけた。それを聞いた佳乃は、そうですかと返事し、頷いてロッカールームの扉を念入りに拭いている。「モテモテですもんね、氷渡先輩」
「俺は、佳乃にされたいんだけどな」
「からかわないでください」
「本気だよ」
「もう。ふざけてないで、掃除進めてくださいよ」
今日、帰ったら観たいドラマがあるんです。──氷渡より、1つ下の学年である佳乃は、視線をやらずに氷渡に言う。手厳しいな、と苦笑して彼は窓を拭きながら問う。何のドラマ? と。
「あれですよ。ちょっと過激なやつ。歳の差、恋愛ドラマ」
クラスで流行っていて、一度でも観ないと、展開についていけなくて。「だから早く、帰りたいんです」と言う。言うだけじゃなく、くしゃくしゃになるほど、顔を歪めて嫌だという表情をしていた。氷渡は、ああ・あれね、とそのドラマを知っていたようで、頷く。「確かに過激だよね」。情事シーンがありすぎて、女優と俳優の演技力が試されてるけど、とバケツに雑巾を入れ、水に浸して洗った後、ぎゅうっと絞る。
「氷渡先輩は、ご覧になってるんですか?」
「いや。あの時間帯は、ほとんど走りこんでるね」
「熱心ですね……。でも、やっぱり、あれですかね」
アメリカに居ただけあって、そっちの激しいものには慣れちゃってるかな。日本人は、世間一般ではつつましいと言われているし。そう佳乃が言うと、氷渡は可笑しそうに小さく笑う。
「日本の方が、情事では激しいときもあると、海外で見られていることもあるよ」
「そうなんですか?」
「ああ。特にアジアだと、日本のアダルトビデオは酷く人気らしい」
シチュエーションとか、女優の演技とか。「ひきつけるものが、何かしらあるんだろうね」
「ウィリアムズが言ってた」
「留学生の……ウィリアムズ先輩も観てるんですかね」
「男なら、誰だって観るよ」
朗らかに笑って言う氷渡に、彼を見つめて佳乃は暫く黙ったが。
「氷渡先輩も、観るんですか?」
でも、女性慣れしてるから必要なさそうですよね。──と、氷渡に可愛がられているだけという立場により、女性として見られていないと思う、複雑な好意を抱いている佳乃は、目を伏せてロッカーを拭き終えると、窓辺に置いてあった乾いた雑巾で乾拭きを始める。答えなど要らない、と言いたげに。けれど。
「観るよ。俺だって」
はは、と軽快に笑って言う彼に、あ・イメージ少し崩れた……。と佳乃は表情には出さず後悔をした。胸の内に秘めていた王子様が、まさかAVを嗜んでいるだなんて知りたくなかったと思ったのだ。そうですか。佳乃は頷き、2人きりで居るというこの状況に緊張をしすぎて、早く終わらせて抜け出そうと思い、掃除する手を早めると。
「どんなのが、とか聞かないのかい?」
「……興味ないので……」
「はは。でも、女性慣れは流石にしてないよ」
「そうですか」
「もう、それもさよならかもしれないけどね」
「……?」
言っている意味がよく理解出来ず、顔を上げる。氷渡は窓を拭くことを再開しながら、無邪気な喜色に溢れる爽やかな表情を浮かべて続ける。
「さっき告白してきた子。付き合うことにしたんだ」
──佳乃の世界から、音が消える。けれど、黙ってばかり居たら妙に思われてしまう。片思いの終止符を打った瞬間ではあるが、ぐっと悔しさと悲しさを堪えて頷いた。よかったですね、と。
「ああ。ありがとう」
笑顔の氷渡とは裏腹に、必死に涙を堪えた。ひたすらに掃除に没頭しようと、一心にロッカーを拭き続ける。
だから言ったんだ。可愛い可愛いと言う先輩の言葉は、社交辞令とただのお世辞。告白してほしい、付き合ってほしいという言葉もからかっていただけ。名前呼びだって、親しいだけだから。目を伏せ、(馬鹿。泣いたら気持ちがばれちゃう。)──佳乃は、ひたすらだった。
「佳乃も好きな人が居たね。恋、叶うといいね」
その残酷な言葉を耳にして、居ても立っても居られない衝動に襲われるけれど、逃げ出すほどの度胸はない。
「はい」
そうとだけ。返す。
「佳乃は可愛いから。すぐその相手も振り向くよ」
「……はい」
「でも、相手の気持ちを察することも必要だ。タイミングが大事だよ」
「です、ね」
その言葉、そっくりそのままあなたにかえします。氷渡先輩。ロッカーの乾拭きを終え、ぴかぴかになった扉に向き合い、次どうするべきかを考える。考えるけれど──浮かんでくれない。覆いようもない終末感が、暗い夕闇のように胸に沈みこむ。信じ続けた恋心の言葉に、背くことと同じ態度をとり、作り笑いも出来ない今、まさに絶望のようなものに暮れていた。それは想像の範疇を超えるもので、泣けば良いか叫べば良いか、それとも気を失えば良いのか一切わからないのだ。佳乃は、瞳を細めて唇をかみしめる。
「佳乃。……どうした」
氷渡に問われ、琥珀色の夕日が差し込む2人きりの部室の中で、佳乃は首を横に振った。
「何で泣いて……」
「なん、でも、ありません」
ああ、可愛くない後輩だ。自分の愛想のなさが人となって現れるのであれば、間違いな屠(ほふ)り殺してやりたいと、思うほどで。現状を変えることは、ただひたすらに掃除をして家に帰って、風呂に入って湯船の中で泣き叫ぶことだと思っている。
「泣くな。その……気に障ることをしたかな」
天から落ちてくるような、スッ……と耳の管に通っては色気を孕んだ氷渡の声が、今は、ただ辛い。胸がいっぱいになって、とうとう涙が突き上げてくる。どんなことがあっても、早く想いを告げておけばよかったんだ。(好きって自覚した、あの瞬間にだって。)ただ、後悔をして。……
辛うじて声は漏らさず涙を手首で拭い、俯いていると、ロッカーに向き合っている自分の髪を、氷渡が撫でてきた。止めてほしい、その一言が言えない。泣かないで。声をかけてくる思いやりを、無下には出来ないでいる。
「何でもないです。……ちょっと……」
目に、ごみが入っただけで。そう言おうとしたとき。
「佳乃を泣かせた悪いやつは、誰かな。」
「俺は、佳乃にされたいんだけどな」
「からかわないでください」
「本気だよ」
「もう。ふざけてないで、掃除進めてくださいよ」
今日、帰ったら観たいドラマがあるんです。──氷渡より、1つ下の学年である佳乃は、視線をやらずに氷渡に言う。手厳しいな、と苦笑して彼は窓を拭きながら問う。何のドラマ? と。
「あれですよ。ちょっと過激なやつ。歳の差、恋愛ドラマ」
クラスで流行っていて、一度でも観ないと、展開についていけなくて。「だから早く、帰りたいんです」と言う。言うだけじゃなく、くしゃくしゃになるほど、顔を歪めて嫌だという表情をしていた。氷渡は、ああ・あれね、とそのドラマを知っていたようで、頷く。「確かに過激だよね」。情事シーンがありすぎて、女優と俳優の演技力が試されてるけど、とバケツに雑巾を入れ、水に浸して洗った後、ぎゅうっと絞る。
「氷渡先輩は、ご覧になってるんですか?」
「いや。あの時間帯は、ほとんど走りこんでるね」
「熱心ですね……。でも、やっぱり、あれですかね」
アメリカに居ただけあって、そっちの激しいものには慣れちゃってるかな。日本人は、世間一般ではつつましいと言われているし。そう佳乃が言うと、氷渡は可笑しそうに小さく笑う。
「日本の方が、情事では激しいときもあると、海外で見られていることもあるよ」
「そうなんですか?」
「ああ。特にアジアだと、日本のアダルトビデオは酷く人気らしい」
シチュエーションとか、女優の演技とか。「ひきつけるものが、何かしらあるんだろうね」
「ウィリアムズが言ってた」
「留学生の……ウィリアムズ先輩も観てるんですかね」
「男なら、誰だって観るよ」
朗らかに笑って言う氷渡に、彼を見つめて佳乃は暫く黙ったが。
「氷渡先輩も、観るんですか?」
でも、女性慣れしてるから必要なさそうですよね。──と、氷渡に可愛がられているだけという立場により、女性として見られていないと思う、複雑な好意を抱いている佳乃は、目を伏せてロッカーを拭き終えると、窓辺に置いてあった乾いた雑巾で乾拭きを始める。答えなど要らない、と言いたげに。けれど。
「観るよ。俺だって」
はは、と軽快に笑って言う彼に、あ・イメージ少し崩れた……。と佳乃は表情には出さず後悔をした。胸の内に秘めていた王子様が、まさかAVを嗜んでいるだなんて知りたくなかったと思ったのだ。そうですか。佳乃は頷き、2人きりで居るというこの状況に緊張をしすぎて、早く終わらせて抜け出そうと思い、掃除する手を早めると。
「どんなのが、とか聞かないのかい?」
「……興味ないので……」
「はは。でも、女性慣れは流石にしてないよ」
「そうですか」
「もう、それもさよならかもしれないけどね」
「……?」
言っている意味がよく理解出来ず、顔を上げる。氷渡は窓を拭くことを再開しながら、無邪気な喜色に溢れる爽やかな表情を浮かべて続ける。
「さっき告白してきた子。付き合うことにしたんだ」
──佳乃の世界から、音が消える。けれど、黙ってばかり居たら妙に思われてしまう。片思いの終止符を打った瞬間ではあるが、ぐっと悔しさと悲しさを堪えて頷いた。よかったですね、と。
「ああ。ありがとう」
笑顔の氷渡とは裏腹に、必死に涙を堪えた。ひたすらに掃除に没頭しようと、一心にロッカーを拭き続ける。
だから言ったんだ。可愛い可愛いと言う先輩の言葉は、社交辞令とただのお世辞。告白してほしい、付き合ってほしいという言葉もからかっていただけ。名前呼びだって、親しいだけだから。目を伏せ、(馬鹿。泣いたら気持ちがばれちゃう。)──佳乃は、ひたすらだった。
「佳乃も好きな人が居たね。恋、叶うといいね」
その残酷な言葉を耳にして、居ても立っても居られない衝動に襲われるけれど、逃げ出すほどの度胸はない。
「はい」
そうとだけ。返す。
「佳乃は可愛いから。すぐその相手も振り向くよ」
「……はい」
「でも、相手の気持ちを察することも必要だ。タイミングが大事だよ」
「です、ね」
その言葉、そっくりそのままあなたにかえします。氷渡先輩。ロッカーの乾拭きを終え、ぴかぴかになった扉に向き合い、次どうするべきかを考える。考えるけれど──浮かんでくれない。覆いようもない終末感が、暗い夕闇のように胸に沈みこむ。信じ続けた恋心の言葉に、背くことと同じ態度をとり、作り笑いも出来ない今、まさに絶望のようなものに暮れていた。それは想像の範疇を超えるもので、泣けば良いか叫べば良いか、それとも気を失えば良いのか一切わからないのだ。佳乃は、瞳を細めて唇をかみしめる。
「佳乃。……どうした」
氷渡に問われ、琥珀色の夕日が差し込む2人きりの部室の中で、佳乃は首を横に振った。
「何で泣いて……」
「なん、でも、ありません」
ああ、可愛くない後輩だ。自分の愛想のなさが人となって現れるのであれば、間違いな屠(ほふ)り殺してやりたいと、思うほどで。現状を変えることは、ただひたすらに掃除をして家に帰って、風呂に入って湯船の中で泣き叫ぶことだと思っている。
「泣くな。その……気に障ることをしたかな」
天から落ちてくるような、スッ……と耳の管に通っては色気を孕んだ氷渡の声が、今は、ただ辛い。胸がいっぱいになって、とうとう涙が突き上げてくる。どんなことがあっても、早く想いを告げておけばよかったんだ。(好きって自覚した、あの瞬間にだって。)ただ、後悔をして。……
辛うじて声は漏らさず涙を手首で拭い、俯いていると、ロッカーに向き合っている自分の髪を、氷渡が撫でてきた。止めてほしい、その一言が言えない。泣かないで。声をかけてくる思いやりを、無下には出来ないでいる。
「何でもないです。……ちょっと……」
目に、ごみが入っただけで。そう言おうとしたとき。
「佳乃を泣かせた悪いやつは、誰かな。」
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