ゆっくり、話そうか。
騒ぐ梢、風、コピー機の音、自分の鼓動…。
子守唄のように包むものだからうっかり眠ってしまいそうになる。
危うくそちらに身を任せそうになったとき、自分の任務を思い出して慌てて窓から離れた。
振り返ってすぐ、心臓が目一杯跳ねる。

え…。

目が合うといった表現が足りないくらいにしっかり、こちらを見ている日下部と視線が絡まった。
期待なんかしていない。
自分を見てくれたらなんて、そういう感情もフィルターも一切無いところで判断した。
間違いなく彼は、自分を見ていたと。
いや、見ている。今も。
意図が掴めず、もしかしたら自分ではなく自分の後ろにあるなにかを見ているのかもしれないからと避けようとしたが、出来なかった。
確かめたくて。
何を見ていたのか、その瞳に映るものが何なのかを覗いてみたくて、日下部に鬱陶しいと思われたとしても、目を逸らすことなど出来なかった。

「逸らさないね、やっぱり」

先に逸らせたのは日下部だった。
何事もなかったと思わせる所作でコピー機に向き直り、仕上がったプリントをまとめて机に乗せた。
もう二度と、日下部に対してこんなふうに胸を高鳴らせたくないと思っていたのに。
させないと思っていたのに。
あっさり簡単に、小さな恋心は存在を主張してきた。

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