年下カレが眼鏡を外す時

 ついにその扉が開く! と思った瞬間、おじいちゃんは階段を降りてきた人に声をかけられた。ドアノブに触れていた手は、今は挨拶のために軽くあげられている。

「あれ? どうしたんだい、かわいいお嬢さんを連れて」
「うちの孫だよ。葉山先生に話があったんだけど」
「先生なら上の事務室にいるよ」
「おぉ、ありがとう。亜美、ちょっと中で待ってて」
「え?」

 おじいちゃんは私を置いて階段を昇って行ってしまう。立花さんという人も「それじゃ」と言って帰ってしまった。ドアの前で置き去りにされた私は、振り返って将棋クラブのドアを見た。耳を澄ましても中からは物音ひとつしない。誰かいるのかしら? 私は恐る恐る、ドアノブを回した。

「あれ、入会希望ですか?」

 ドアを開けると、すぐ近くにあるカウンターから若い男の人の声が聞こえてきた。私がとっさに視線をそちらに向けると、銀縁の眼鏡をかけた男性が私を見ている。

「え、あの、その……おじいちゃんに連れられてきて、それで……」
「おじいちゃん?」

 将棋の先生に真面目な男の人を紹介しに貰いに来たなんて、恥ずかしくて言えない。私が口ごもっていると、カレは首を傾げる。――この人も、何だか真面目そうに見えた。銀色の眼鏡は知性的で、グレーのスーツを着ていて、髪型は少し寝癖が残っているけれど奇抜なものではない。もしかしてこの人が? そんな事を考えていたら、カレは「まあ、こちらへどうぞ」と空いている席を差した。

「将棋を指した事は?」

 カレは私の正面に座った。私たちの間には将棋盤。カレはその上に駒を置いていく。

「いいえ、一度も! あの、おじいちゃんの家で将棋崩しをしたことがあるくらいで……」

 言っていて恥ずかしくなっていく。私が小さくなってそう言うと、目の前のカレは少しきょとんとした顔をした後、噴き出すように笑った。

「な、何で笑うんですか……?」
「いえ、懐かしいなと思いまして。僕も小さな頃やりましたよ」

 カレはニコニコと笑っていた。まるで少年のようなその笑みに、私の心臓はほんの少しだけ疼いていく。私はカレにそれを悟られないように背を伸ばし、カレは軽快な音を立てて駒を並べていく。

「それなら、本当の初心者さんですね。まずは駒の動かし方から覚えていきましょうか?」
「え? あ、はい」

 カレは駒のひとつひとつの名前と、動かし方を教えてくれる。しかし、こんなに複雑な事を一気に覚えるなんて高校の時のテスト前みたい。久しぶりの事に頭はこんがらがり、私は一向に覚えることができなかった。目に入ってくるのは動く駒じゃなくて、カレの滑らかな指先だけ。カレは私の反応を上目遣いで確認していく。そして、駒の動きや説明がゆっくりになっていく。あ、これは私が全く理解していないというのがバレたな。恥ずかしい……。

 一通り説明が終わった頃、ドアが開いた。おじいちゃんの話し声が聞こえてくる。

「なんだ、もう仲良くなったのか?」

 ドアを開けたのはおじいちゃんではなかった。おじいちゃんよりもほんの少しだけ若く見える老年の男性が、驚いたように声をあげた。きっとこの人がおじいちゃんの将棋の先生に違いない。

「な、何の事ですか?」

 目の前の男性の声が急に堅苦しくなったような気がした。さっきまで柔らかかったのに……私はそれを残念に思ってしまっていた。

「その人は渡瀬さんのお孫さんだよ。お前に良い人がいないかって前に相談したら、お孫さんを連れてきてくれたんだ」
「えぇ!? 僕、その話は……」
「まあ、仲良くなったならそれはそれでいいか。ありがとうね、渡瀬さん」

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