敏腕パイロットは純真妻を溢れる独占愛で包囲する
パリにて
「お、珍しくホテルで食事か? 如月」
ライトアップされたエッフェル塔が中央に浮かぶどこかクラッシックで煌びやかなパリの夜景。
雑誌から切り取ったみたいな光景を一望できるホテルの高層階のレストランで、夕食をとっていた総司は声をかけられて顔を上げる。
視線の先に同じ会社の先輩パイロットが立っていた。
ステイの際パイロットは会社が指定した系列ホテルに泊まる決まりになっている。
必然的にそこのレストランで夕食を取る者が多い。
まさに今総司はそうしているわけだが、彼が言うとおりこれは珍しいことだった。
ホテルで食事をしていると、こうやって同じ会社の人間と会うからである。
もちろん相手が彼のようなパイロットならまったくなんの問題もない。
だがこれがCAだと、少々やっかいだというのが正直なところだった。
どうやらそんな総司の内心は、先輩パイロットはお見通しのようだった。
「既婚者になって、ようやくホテルでもゆっくり食事をとれるようになったってとこか? ん?」
からかいながら、総司と向かい合わせの席に座りウエイターを呼ぶ。自分の分の料理を注文してからまた総司に向き直った。
「ちょっとは静かになっただろう? お前の周りも」
「まぁ、そうですね」
総司は素直に頷いた。
とにかく結婚する前はステイの際、ひっきりなしにある女性からの誘いを断るのが大変だった。
顔を合わせるのがおっくうでついつい外へ食べに出るうちに、すっかり外食通になってしまったのだ。
結果的にはそれが可奈子と親しくなる時に役に立ったのだから結果オーライといえなくもないのだが。
「これで俺もやれやれといったところだ」
先輩パイロットがもったいぶって言う。
総司は首を傾げた。
「お前ほどの男がどうしていつまでも独身で、どのCAの誘いに乗らないのかと、周りから散々探りを入れられていたのは俺だ。ぞ? それから解放されるっていう意味だ」
「そんな大げさな」
「いや、大げさなんかじゃない。特にあの子……山崎さんあたりがしつこかったな。いっそのことお前には人には言えないような変態的な趣味があるとかなんとか、適当なデマでも流して静かにさせようかと思ったくらいだ。静観してやったんだから、感謝してくれないと」
彼は冗談混じりに恩着せがましくそう言って、ウエイターが運んできたミネラルウォーターをぐいっと飲んだ。
「ま、なにはともあれ、こうやってステイのお前とゆっくり食事ができるんだから、奥さんに感謝しないとな。だがお前の方が静かになった分、奥さんの方は大変なんじゃないか?」
その言葉に総司は持っていたフォークを置いた。
今彼が言った言葉がなにを意味するのか、すぐには思いあたらなかった。
すると相手は意外そうに総司を見て、呆れたように口を開いた。
「極端にCAとの接触を避けてきた弊害だな。……NANA・SKY始まって以来のイケメンパイロットと名高いお前と、いきなり結婚したんだぜ。普通に考えたらやっかみや嫌味の大合唱だろう。奥さんからはなにも聞いていないのか?」
「いや、……特には」
言いながら、総司は眉を寄せる。
言われてみれば、そうかもしれないという思いが頭をよぎった。
「言わないから、平気だとは言い切れんからな。気をつけてやらないと」
彼は総司と違ってCAと積極的に交流するタイプの人間だ。
すでに既婚者の身でありながら、やや軽いところがある彼のその交流の内容は、総司から見れば関心できない部分もある。
だが、その分彼女たちの内情には詳しい。そんな相手からの忠告は無視できない。
考えてみれば、可奈子と話をするようになってから正式に結婚が決まるまで彼女は社内ではふたりのことを秘密にしていた。そうした方がいいと、彼女自身、判断していたからなのだろう。
と、いうことは、そういうことなのだ。
総司は心の中で舌打ちをした。
今までそこに考えが至らなかった自分はなんて間抜けなんだと、じくじたる思いになる。
なにもかもが計画通りに進み、彼女と結婚できたことで、浮かれていたのかもしれない。
そこで総司の胸がコツンと鳴った。
そういえば、ここ最近可奈子の様子が少しおかしい。どこかよそよそしくてなにか心配事を抱えているように不安げだ。
今の話と関係があるのだろうか。
「そうですね、気を付けるようにします」
感謝して言うと、相手は頷いた。
「可愛い後輩には幸せになってもらいたいからな。ちなみに山崎さんの方にはすでに手を打っておいたから」
「……手を打った?」
意外な言葉に総司が聞き返した。
「私たちの前ではニコニコしているが、あの子は相当きつい。俺にもお前と一緒に食事をする機会を作れと相当しつこく食い下がっていたからな。お前が結婚するとわかった時、奥さんとお前との仲を取り持ったのかと詰め寄られたんだ」
その言葉を聞いて総司は急に申し訳ない気持ちになる。この先輩パイロットには入社してからずっと世話になっている。
はたから見ても社内では一番親しくしてるとわかるのだろう。
今の話が本当なら、さっき総司が大げさだと切り捨てたのは間違いで、彼には相当迷惑をかけていたようだ。
だが明るくて豪胆な彼はもはやそこにこだわってはいないようで、意気揚々として話の続きを口にする。
「放っておいたら嫌がらせをしかねんと思ったからな。お前が奥さんと結婚したのは、俺がそうしろと言ったからだと言っておいた」
「先輩が?」
「そうだ。お前はCAにモテすぎる。お前が我が社のCAの中から相手を選んだら、妬みや嫉みでチームワークがバラバラになって安全なフライトにも影響が出るだろう。だからお前はCAとは付き合うなと俺から厳命してあったということにしておいた。実際そう言ってただろう?」
「まあ……そうですね」
飲みの席で冗談混じりによく言われていた。
総司の方はそもそもCAと付き合う気などなかったから、聞き流していたのだが。
「だから如月はCAではなくグランドスタッフと結婚したんだろう、我が社のCAは美人揃いだからさぞかし残念だっただろうが、先輩命令には逆らえんからな、と言っておいた」
よくもそんな口から出まかせを、という総司の思いは顔に出ているのだろう、相手ははははと声をあげた。
「そう不満そうにするなよ! お前の奥さんが可愛いのは承知済みだ。だがな、如月。人間というのは常にマウンティングし合う生き物なんだ。プライドの高いCAたちは特にだ。お前の結婚に対する気持ちは、お前を好きだから悲しいというのはもちろんだが、奥さんに負けたような気がして悔しいという部分もあるはずだ。だから仕方なく奥さんを選んだことにして、本当は君の方が上なんだと言っておけば、少しは溜飲を下げるだろう。奥さんに対する風当たりは弱くなる」
くだらない、のひと言だ。
仕方なく可奈子と結婚したなどありもしない話だ。
だがそれで丸く収まるというのならそう思わせておいてもいいだろうか。
どちらにせよ、もう言ってしまったものは取り消せない。
総司の本当の気持ちは可奈子だけが知っていればいい。
ふたりが強い絆で結ばれていればなんの問題もないのだから。
そのためにはやはり、可奈子が不安を抱えているのなら取り除いてやる必要がある。
「とにかく、お前は奥さんのケアに専念しろ。妻というはこれまた恐ろしく、繊細な生き物だからな。なにがきっかけで怒りだすかわからん。気を抜くなよ」
先輩パイロットは心底やっかいだというように顔をしかめる。
頭の中に自身の妻と思い浮かべているに違いない彼に総司は苦笑するが、すぐに真面目に頷いた。
「わかりました。ありがとうございます」
帰ったらさっそく、可奈子と話をしなくては。
ライトアップされたエッフェル塔が中央に浮かぶどこかクラッシックで煌びやかなパリの夜景。
雑誌から切り取ったみたいな光景を一望できるホテルの高層階のレストランで、夕食をとっていた総司は声をかけられて顔を上げる。
視線の先に同じ会社の先輩パイロットが立っていた。
ステイの際パイロットは会社が指定した系列ホテルに泊まる決まりになっている。
必然的にそこのレストランで夕食を取る者が多い。
まさに今総司はそうしているわけだが、彼が言うとおりこれは珍しいことだった。
ホテルで食事をしていると、こうやって同じ会社の人間と会うからである。
もちろん相手が彼のようなパイロットならまったくなんの問題もない。
だがこれがCAだと、少々やっかいだというのが正直なところだった。
どうやらそんな総司の内心は、先輩パイロットはお見通しのようだった。
「既婚者になって、ようやくホテルでもゆっくり食事をとれるようになったってとこか? ん?」
からかいながら、総司と向かい合わせの席に座りウエイターを呼ぶ。自分の分の料理を注文してからまた総司に向き直った。
「ちょっとは静かになっただろう? お前の周りも」
「まぁ、そうですね」
総司は素直に頷いた。
とにかく結婚する前はステイの際、ひっきりなしにある女性からの誘いを断るのが大変だった。
顔を合わせるのがおっくうでついつい外へ食べに出るうちに、すっかり外食通になってしまったのだ。
結果的にはそれが可奈子と親しくなる時に役に立ったのだから結果オーライといえなくもないのだが。
「これで俺もやれやれといったところだ」
先輩パイロットがもったいぶって言う。
総司は首を傾げた。
「お前ほどの男がどうしていつまでも独身で、どのCAの誘いに乗らないのかと、周りから散々探りを入れられていたのは俺だ。ぞ? それから解放されるっていう意味だ」
「そんな大げさな」
「いや、大げさなんかじゃない。特にあの子……山崎さんあたりがしつこかったな。いっそのことお前には人には言えないような変態的な趣味があるとかなんとか、適当なデマでも流して静かにさせようかと思ったくらいだ。静観してやったんだから、感謝してくれないと」
彼は冗談混じりに恩着せがましくそう言って、ウエイターが運んできたミネラルウォーターをぐいっと飲んだ。
「ま、なにはともあれ、こうやってステイのお前とゆっくり食事ができるんだから、奥さんに感謝しないとな。だがお前の方が静かになった分、奥さんの方は大変なんじゃないか?」
その言葉に総司は持っていたフォークを置いた。
今彼が言った言葉がなにを意味するのか、すぐには思いあたらなかった。
すると相手は意外そうに総司を見て、呆れたように口を開いた。
「極端にCAとの接触を避けてきた弊害だな。……NANA・SKY始まって以来のイケメンパイロットと名高いお前と、いきなり結婚したんだぜ。普通に考えたらやっかみや嫌味の大合唱だろう。奥さんからはなにも聞いていないのか?」
「いや、……特には」
言いながら、総司は眉を寄せる。
言われてみれば、そうかもしれないという思いが頭をよぎった。
「言わないから、平気だとは言い切れんからな。気をつけてやらないと」
彼は総司と違ってCAと積極的に交流するタイプの人間だ。
すでに既婚者の身でありながら、やや軽いところがある彼のその交流の内容は、総司から見れば関心できない部分もある。
だが、その分彼女たちの内情には詳しい。そんな相手からの忠告は無視できない。
考えてみれば、可奈子と話をするようになってから正式に結婚が決まるまで彼女は社内ではふたりのことを秘密にしていた。そうした方がいいと、彼女自身、判断していたからなのだろう。
と、いうことは、そういうことなのだ。
総司は心の中で舌打ちをした。
今までそこに考えが至らなかった自分はなんて間抜けなんだと、じくじたる思いになる。
なにもかもが計画通りに進み、彼女と結婚できたことで、浮かれていたのかもしれない。
そこで総司の胸がコツンと鳴った。
そういえば、ここ最近可奈子の様子が少しおかしい。どこかよそよそしくてなにか心配事を抱えているように不安げだ。
今の話と関係があるのだろうか。
「そうですね、気を付けるようにします」
感謝して言うと、相手は頷いた。
「可愛い後輩には幸せになってもらいたいからな。ちなみに山崎さんの方にはすでに手を打っておいたから」
「……手を打った?」
意外な言葉に総司が聞き返した。
「私たちの前ではニコニコしているが、あの子は相当きつい。俺にもお前と一緒に食事をする機会を作れと相当しつこく食い下がっていたからな。お前が結婚するとわかった時、奥さんとお前との仲を取り持ったのかと詰め寄られたんだ」
その言葉を聞いて総司は急に申し訳ない気持ちになる。この先輩パイロットには入社してからずっと世話になっている。
はたから見ても社内では一番親しくしてるとわかるのだろう。
今の話が本当なら、さっき総司が大げさだと切り捨てたのは間違いで、彼には相当迷惑をかけていたようだ。
だが明るくて豪胆な彼はもはやそこにこだわってはいないようで、意気揚々として話の続きを口にする。
「放っておいたら嫌がらせをしかねんと思ったからな。お前が奥さんと結婚したのは、俺がそうしろと言ったからだと言っておいた」
「先輩が?」
「そうだ。お前はCAにモテすぎる。お前が我が社のCAの中から相手を選んだら、妬みや嫉みでチームワークがバラバラになって安全なフライトにも影響が出るだろう。だからお前はCAとは付き合うなと俺から厳命してあったということにしておいた。実際そう言ってただろう?」
「まあ……そうですね」
飲みの席で冗談混じりによく言われていた。
総司の方はそもそもCAと付き合う気などなかったから、聞き流していたのだが。
「だから如月はCAではなくグランドスタッフと結婚したんだろう、我が社のCAは美人揃いだからさぞかし残念だっただろうが、先輩命令には逆らえんからな、と言っておいた」
よくもそんな口から出まかせを、という総司の思いは顔に出ているのだろう、相手ははははと声をあげた。
「そう不満そうにするなよ! お前の奥さんが可愛いのは承知済みだ。だがな、如月。人間というのは常にマウンティングし合う生き物なんだ。プライドの高いCAたちは特にだ。お前の結婚に対する気持ちは、お前を好きだから悲しいというのはもちろんだが、奥さんに負けたような気がして悔しいという部分もあるはずだ。だから仕方なく奥さんを選んだことにして、本当は君の方が上なんだと言っておけば、少しは溜飲を下げるだろう。奥さんに対する風当たりは弱くなる」
くだらない、のひと言だ。
仕方なく可奈子と結婚したなどありもしない話だ。
だがそれで丸く収まるというのならそう思わせておいてもいいだろうか。
どちらにせよ、もう言ってしまったものは取り消せない。
総司の本当の気持ちは可奈子だけが知っていればいい。
ふたりが強い絆で結ばれていればなんの問題もないのだから。
そのためにはやはり、可奈子が不安を抱えているのなら取り除いてやる必要がある。
「とにかく、お前は奥さんのケアに専念しろ。妻というはこれまた恐ろしく、繊細な生き物だからな。なにがきっかけで怒りだすかわからん。気を抜くなよ」
先輩パイロットは心底やっかいだというように顔をしかめる。
頭の中に自身の妻と思い浮かべているに違いない彼に総司は苦笑するが、すぐに真面目に頷いた。
「わかりました。ありがとうございます」
帰ったらさっそく、可奈子と話をしなくては。