敏腕パイロットは純真妻を溢れる独占愛で包囲する
偽りの結婚、本当の気持ち
美鈴と話をした次の日に、総司はパリから帰ってきた。
突きつけられたつらい現実に痛む胸をなんとか抑えて、可奈子は彼を笑顔で出迎えた。
「おかえりなさい」
「ただいま、可奈子」
襟元をくつろげながら微笑む彼は、とても可奈子を騙しているようには思えない。
可奈子が恋に落ちたそのままの彼だ。
美鈴の話を聞いてから一日半経っても可奈子はまだ混乱の中にいる。
彼に裏切られていたのだという事実を受け止めきれていなかった。
自分はいったいこれからどうすればいいのだろう。
事実を知ってからも、胸の中のどこをどう探しても彼に対する怒りは浮かんでこない。
悲しくて、つらくて。
そしてなによりもそれでも彼を愛しているという想いが、可奈子を苦しめている。
自分の中でまったく結論が出ていない、こんな状態で彼に疑問をぶつけられるわけがなかった。
だから今の可奈子にできることといえば、こうやって精一杯素知らぬフリをするくらいだ。
「……わぁ、かわいいこの袋。マカロン?」
差し出された水色の紙袋を受けとりながら、可奈子はわざと明るく振る舞う。
胸がチクリと痛んだ。
偽りの優しさに、偽りで返す。
なんて、悲しい夫婦の姿なのだろう。
つい一カ月前に結婚式を挙げた時はまさかこんな風になるなんて、想像もできなかった。
総司の顔を見られなくて、可奈子は土産に夢中なフリをする。真
正面から彼を見つめて大好きな少し茶色い瞳の中に、偽りの色を見てしまったら、泣き出してしまいそうだ。
「可奈子、……話があるんだけど」
迷うような総司の言葉に、可奈子の胸がどきりと跳ねる。顔を上げると、いつになく真剣な彼の眼差しがそこにあった。
「ちょっとソファに座ってくれる?」
口調は穏やかだけれど、彼の表情から話の内容が楽しいものではないのは明らかだった。
促されてリビングへ向かいながら、可奈子は突然、あることに思いあたる。
……総司は、可奈子が彼の計画に気が付いていると知ったらどうするのだろう?
この優しさは彼の正体を周囲に悟られないための隠れ蓑としての結婚を継続させるための偽りの優しさだ。
もし可奈子が彼の正体を知っているとしたら可奈子は用済みになってしまうのではないだろうか。
そしたら結婚は……?
嫌な想像で頭がいっぱいになりながら、可奈子はソファに腰を下ろす。
隣に座る総司が静かに口を開いた。
「可奈子。もしかして、社内の誰かになにか言われたんじゃないか」
「……え?」
どこか不穏な問いかけに、可奈子の口から声が漏れる。
「その……」
総司は一旦口を噤み、ため息をついてから続きの言葉を口にした。
「つまり、俺たちの結婚について」
「っ……!」
息を呑み、ほとんど反射的に可奈子はソファから立ち上がる。
血の気が引いていくのが自分でもよくわかった。
彼は美鈴と可奈子の間につい最近あったばかりの出来事をすでに知っている。
この事実から導きだされる答えはひとつだけだった。
彼はやはり美鈴と繋がっているのだ。つまり、彼の本当の姿は……。
ぼーぜんと立ち尽くす可奈子を総司がジッと見上げている。
その訝しむような視線はまるで可奈子に、白状しろと迫っているかのようだった。
崖っぷちにいると可奈子は思う。
今ここで、彼の正体を可奈子が知っているとバレたら、彼との生活は一瞬にして崩壊する。
今すぐに出て行けと言われてもおかしくはない状況だ。そしてもう可奈子は二度と彼には触れられなくなってしまうのだ。
そんなの絶対に嫌だった。
バカだと思う。
騙されているのがわかっていて、それでも彼のそばにいたいなんて。
愚か以外のなにものでもない。
でもだからこそ、彼は自分を偽装結婚の相手に選んだのだのかもしれない。
強い彼の視線から逃れるように可奈子は目を伏せてぶんぶんと首を振った。
「な、なんのことか、わからない。私、誰からもなにも言われていないわ」
「可奈子……」
「本当に! ……本当に」
そして一歩後ずさり、まったく違う話を持ち出した。
「わ、私、ちょっと疲れちゃってて。マカロンは明日食べることにして、さ、先に寝るね」
一方的に早口でそう言って、彼が答える前にそそくさとリビングを出る。
薄暗い寝室に逃げ込んでそのままドアにもたれると、長い息を吐いた。
手の震えが止まらない、動揺からまったく抜け出せていなかった。
ごまかせたとはとても思えないけれど、今の可奈子にはあれが精一杯だった。
あなたの正体に気付いていますと白状して、ふたりの結婚を終わらせる勇気はまだなかった。
可奈子は視線を彷徨わせ、ベッド脇のサイドテーブルに飾られたふたりの結婚式の写真に目を留めた。
なにもかもが繋がった。
恋人同士になってから、彼はすぐに結婚したがった。
可奈子もそれを望んだが、なぜ彼がそんなに結婚を急ぐのか本当は少し不思議だった。
つまりは結婚自体が目的だったということだろう。愛してもいない相手と偽物の愛を育む時間は彼には必要なかったのだ。
しかも彼は、結婚自体を急ぎながら結婚式はきちんと挙げようと言ったのだ。急ぐのであれば、式は後からでもよさそうなものなのに。
彼にとっては式自体も重要だったからだろう。世間に向けて、自分の結婚をアピールしなければ、結婚した意味はない。
たまたま目当ての式場で日柄のいい日にキャンセルが出てふたりは無事に式を挙げた。幸運だ幸先がいいなんて話していたけれど、もしかしたらそれも誰かによって仕組まれた筋書きだったのかもしれない。
窓の外に視線を送ると、キラキラと輝く夜景がみるみるうちに滲んでいく。
空港へのアクセスが抜群で、広さもセキュリティーも申し分ないこのマンションは総司が元々住んでいたもので、結婚を機に可奈子が引っ越していた。
彼と一緒にいられるなら、どんな家でもかまわないけれど、空から近いこの景色が可奈子は大好きだったのに。
……本当は自分が見ていいものではなかったのだ。
なにもかもが偽りだった彼との結婚生活。
その中で、彼を愛しているという可奈子の気持ちだけが本物だったのだ。
それがただ切なくて、頬を伝う涙を可奈子は拭うこともできなかった。
突きつけられたつらい現実に痛む胸をなんとか抑えて、可奈子は彼を笑顔で出迎えた。
「おかえりなさい」
「ただいま、可奈子」
襟元をくつろげながら微笑む彼は、とても可奈子を騙しているようには思えない。
可奈子が恋に落ちたそのままの彼だ。
美鈴の話を聞いてから一日半経っても可奈子はまだ混乱の中にいる。
彼に裏切られていたのだという事実を受け止めきれていなかった。
自分はいったいこれからどうすればいいのだろう。
事実を知ってからも、胸の中のどこをどう探しても彼に対する怒りは浮かんでこない。
悲しくて、つらくて。
そしてなによりもそれでも彼を愛しているという想いが、可奈子を苦しめている。
自分の中でまったく結論が出ていない、こんな状態で彼に疑問をぶつけられるわけがなかった。
だから今の可奈子にできることといえば、こうやって精一杯素知らぬフリをするくらいだ。
「……わぁ、かわいいこの袋。マカロン?」
差し出された水色の紙袋を受けとりながら、可奈子はわざと明るく振る舞う。
胸がチクリと痛んだ。
偽りの優しさに、偽りで返す。
なんて、悲しい夫婦の姿なのだろう。
つい一カ月前に結婚式を挙げた時はまさかこんな風になるなんて、想像もできなかった。
総司の顔を見られなくて、可奈子は土産に夢中なフリをする。真
正面から彼を見つめて大好きな少し茶色い瞳の中に、偽りの色を見てしまったら、泣き出してしまいそうだ。
「可奈子、……話があるんだけど」
迷うような総司の言葉に、可奈子の胸がどきりと跳ねる。顔を上げると、いつになく真剣な彼の眼差しがそこにあった。
「ちょっとソファに座ってくれる?」
口調は穏やかだけれど、彼の表情から話の内容が楽しいものではないのは明らかだった。
促されてリビングへ向かいながら、可奈子は突然、あることに思いあたる。
……総司は、可奈子が彼の計画に気が付いていると知ったらどうするのだろう?
この優しさは彼の正体を周囲に悟られないための隠れ蓑としての結婚を継続させるための偽りの優しさだ。
もし可奈子が彼の正体を知っているとしたら可奈子は用済みになってしまうのではないだろうか。
そしたら結婚は……?
嫌な想像で頭がいっぱいになりながら、可奈子はソファに腰を下ろす。
隣に座る総司が静かに口を開いた。
「可奈子。もしかして、社内の誰かになにか言われたんじゃないか」
「……え?」
どこか不穏な問いかけに、可奈子の口から声が漏れる。
「その……」
総司は一旦口を噤み、ため息をついてから続きの言葉を口にした。
「つまり、俺たちの結婚について」
「っ……!」
息を呑み、ほとんど反射的に可奈子はソファから立ち上がる。
血の気が引いていくのが自分でもよくわかった。
彼は美鈴と可奈子の間につい最近あったばかりの出来事をすでに知っている。
この事実から導きだされる答えはひとつだけだった。
彼はやはり美鈴と繋がっているのだ。つまり、彼の本当の姿は……。
ぼーぜんと立ち尽くす可奈子を総司がジッと見上げている。
その訝しむような視線はまるで可奈子に、白状しろと迫っているかのようだった。
崖っぷちにいると可奈子は思う。
今ここで、彼の正体を可奈子が知っているとバレたら、彼との生活は一瞬にして崩壊する。
今すぐに出て行けと言われてもおかしくはない状況だ。そしてもう可奈子は二度と彼には触れられなくなってしまうのだ。
そんなの絶対に嫌だった。
バカだと思う。
騙されているのがわかっていて、それでも彼のそばにいたいなんて。
愚か以外のなにものでもない。
でもだからこそ、彼は自分を偽装結婚の相手に選んだのだのかもしれない。
強い彼の視線から逃れるように可奈子は目を伏せてぶんぶんと首を振った。
「な、なんのことか、わからない。私、誰からもなにも言われていないわ」
「可奈子……」
「本当に! ……本当に」
そして一歩後ずさり、まったく違う話を持ち出した。
「わ、私、ちょっと疲れちゃってて。マカロンは明日食べることにして、さ、先に寝るね」
一方的に早口でそう言って、彼が答える前にそそくさとリビングを出る。
薄暗い寝室に逃げ込んでそのままドアにもたれると、長い息を吐いた。
手の震えが止まらない、動揺からまったく抜け出せていなかった。
ごまかせたとはとても思えないけれど、今の可奈子にはあれが精一杯だった。
あなたの正体に気付いていますと白状して、ふたりの結婚を終わらせる勇気はまだなかった。
可奈子は視線を彷徨わせ、ベッド脇のサイドテーブルに飾られたふたりの結婚式の写真に目を留めた。
なにもかもが繋がった。
恋人同士になってから、彼はすぐに結婚したがった。
可奈子もそれを望んだが、なぜ彼がそんなに結婚を急ぐのか本当は少し不思議だった。
つまりは結婚自体が目的だったということだろう。愛してもいない相手と偽物の愛を育む時間は彼には必要なかったのだ。
しかも彼は、結婚自体を急ぎながら結婚式はきちんと挙げようと言ったのだ。急ぐのであれば、式は後からでもよさそうなものなのに。
彼にとっては式自体も重要だったからだろう。世間に向けて、自分の結婚をアピールしなければ、結婚した意味はない。
たまたま目当ての式場で日柄のいい日にキャンセルが出てふたりは無事に式を挙げた。幸運だ幸先がいいなんて話していたけれど、もしかしたらそれも誰かによって仕組まれた筋書きだったのかもしれない。
窓の外に視線を送ると、キラキラと輝く夜景がみるみるうちに滲んでいく。
空港へのアクセスが抜群で、広さもセキュリティーも申し分ないこのマンションは総司が元々住んでいたもので、結婚を機に可奈子が引っ越していた。
彼と一緒にいられるなら、どんな家でもかまわないけれど、空から近いこの景色が可奈子は大好きだったのに。
……本当は自分が見ていいものではなかったのだ。
なにもかもが偽りだった彼との結婚生活。
その中で、彼を愛しているという可奈子の気持ちだけが本物だったのだ。
それがただ切なくて、頬を伝う涙を可奈子は拭うこともできなかった。