敏腕パイロットは純真妻を溢れる独占愛で包囲する
「晴れてよかったですね」
心地のいい風が吹き抜けてなびく髪を押さえながら、可奈子は並んで歩く背の高い総司を見上げる。
総司が眩しそうに目を細めて微笑んだ。
「そうだね」
総司のステイの際に予定を合わせて一緒に食事をするという関係が始まって数カ月が経ったこの日、ふたりは札幌の大通り公園にいた。たまたま重なった休みを利用して、ふたりでやってきたのである。
東京よりもどこか清々しい空気の中、太陽の光の元でにっこりと微笑む彼を、可奈子は新鮮な気持ちで見つめていた。
ステイの際の食べ歩きは夕食だから、いつもは夜の街を一緒に歩く。
明るい街を一緒に歩いているのがなんだか気恥ずかしく感じた。
この日までに、ふたりが一緒に食事をしたのは三度ほど。
仙台の牛タン、広島のお好み焼き、鹿児島の黒豚しゃぶしゃぶ。
どれも美味しくて、なによりも楽しい時間だった。
世界中を飛び回る彼の話は、どれだけ聞いていても飽きることはなかったけれど、彼は聞き上手でもあった。
仕事のこと、食べ歩きのことや土産物に関する考察など、思いつくままに口にする可奈子の話を、少し茶色い目を瞬かせながら少しも迷惑そうにはせずに嬉しそうに聞いてくれる。
別れる時は、物足りないもっと一緒にいたいといつも少し残念に思う。
「あっちにソフトクリームの屋台が出てる。食べる?」
前方を指差して総司が可奈子に問いかける。
「はい!」
元気よく答えてから、可奈子は頬を染めた。
「あ、……でも」
総司が首を傾げた。
「どうした? 無理しなくても……」
「そうじゃないんです」
可奈子は慌ててかぶりを振った。
「あの……もうたくさん食べたのに、まだ食べられるなんて……ちょっとよくばりですよね」
時刻は午後三時を回っている。
朝早くの便で新千歳空港に到着して札幌までやってきた。
総司がよく行くという店で、海鮮丼を少し早い昼食として食べて、しばらく街を散策していたら、やっぱりラーメンも食べたいねという話になったから、さっきラーメン屋さんに立ち寄った。
それなのに、まだソフトクリームも食べたいだなんて、呆れられたりはしないだろうか。
すると総司が噴き出した。
「今さらだな‼︎」
はははと声をあげて笑っている。手放しの笑顔が可奈子のハートを直撃した。
「
君が食いしん坊なのはもう知ってるよ。それにそれは俺も一緒だろう」
「そうですけど。でも……」
「いいから行こう。そのために来たんだから」
そう言って先を行く大きな背中に、可奈子はドキドキが止まらなかった。
食べ歩き友達になって、メールのやり取りをするようになっても、ふたりはあくまでも友人同士という距離を保っていた。
楽しい時間を過ごしても彼からそれ以上のなにかを感じさせる言葉を言われることはなかった。
でも可奈子の方は、確実に彼に惹かれはじめていた。
彼と話をするようになってから知った、それまで感じたことのないたくさんの想い。
彼の隣にいるだけでわくわくと躍るように高鳴る鼓動。
彼の香りを感じるとひとりでに熱くなる頬。
そしてなにより勤務中にパイロットの制服姿の彼を見かけると、やはり遠い人なのだと切なく締め付けられるように痛む心が、可奈子に彼を特別な存在なのだということを認識させたのだ。
彼のことが頭に浮かんで、眠れない夜をもう何日過ごしただろう。
「伊東さんは、なに味にする?」
屋台の前で振り返り、総司が優しく可奈子に尋ねる。柔らかな眼差し、いつもとは違うシチュエーションに可奈子は少し期待する。
今日はいつもみたいにステイだからという理由ではなく、ふたりで予定を合わせてここへ来た。
美味しいものがたくさんある北海道へ行くとしたらせっかくなら休みを使って日帰り旅行にしないかと、総司から誘われたのだ。それに可奈子は、迷うことなく頷いた。
もちろん彼は、友人として誘ってくれたのだろう。
それ以上のなにかなんてあるはずがない。でもどこかで期待してしまうのはどうしようもなかった。彼の話を信じるならば、彼がこうやって会っている異性は可奈子だけなのだから。
牧場直営だという屋台で、バニラアイスを買って、近くのベンチに腰を下ろす。
目の前を、手を繋いだカップルが通り過ぎる。
はたからみたら、自分たちもあんな風に恋人同士に見えるのだろうか。
「食べないの? 溶けるよ」
ぼんやりとカップルを見つめていた可奈子は声をかけられてハッとする。
「え? あ、いえ。いただきます……」
身の程知らずの自分自身の考えが、なんだかすごく恥ずかしかった。
全然知らない人が見ても、彼と自分は釣り合わない。
だって、公園の緑を眺めながらソフトクリームを食べる完全にプライベートモードの彼は、映画から抜け出てきたかのように素敵だった。
いつもよりラフに整えられた茶色い髪、ソフトクリームを持つ大きな手、ノンアイロンのジャケットに襟のないシャツから覗く男らしい喉元が……。
と、そこでチラリとこちらに視線を移した彼の瞳と目が合って、どきりとして目を伏せる。
慌ててソフトクリームにかぶりついた。
ジッと見つめてしまっていたことを変に思われてしまっただろうか。
今度は彼からの視線を感じて、可奈子の頬は熱くなった。
「あいかわらず美味しそうに食べるね、伊東さんは」
「え?」
「伊東さんが美味しそうに食べる姿を見てるとこっちまで嬉しくなってくるよ。なんでも食べさせてあげたくなる」
にこにこして彼は言う。
可奈子はくすぐったいような気持ちになった。
自分は彼よりも随分年下で、会社での立場も能力もまったく彼には及ばない。おそらく恋愛対象にはなれないだろう。
それでも少なくとも彼の方も自分との時間を楽しんでいるということだ。
「食いしん坊な部下で、すみません」
何気ない彼の言葉に心の中で嬉しくなってしまっているのをごまかしたくて可奈子はそんな言葉を口にする。
「食べることばっかりに興味があるなんて、ちょっと女としてはどうかなって感じですけど」
うつむいて、食べ終えたソフトクリームの紙を意味もなく折り畳んだ。
「もうちょっと、服とかメイクのことにも興味を持てって友達には言われます」
「そうなんだ。今でも十分可愛いと思うけど」
「え⁉︎ そ、そんなことは……」
彼の口から出た"可愛い"という言葉に、可奈子の胸が飛び跳ねる。
ただのお世辞あるいはフォローだと、慌てて自分に言い聞かせるが、ドキドキと走り出す鼓動を止めることはできなかった。
「の、飲み会でも気の利いた話が全然できなくて。だからなかなか彼氏ができないんですよね」
どぎまぎしながら、思わず言わなくていいことまで口走る。可奈子の恋愛事情など、彼にはまったく関係のない話なのに。
「もうちょっと女子力を上げなきゃいけないって思ってて、今度友達と……」
その時。
「その必要はない」
総司の言葉遮られて、可奈子は口を噤み目をパチパチさせる。顔を上げると、彼はしまったというように口元を手で覆っていた。
「いや、その……」
視線を逸らし、気まずそうにしている。
いつも堂々としていて、なにをするにもスマートな彼のこんなところを見るのははじめてのことだった。
「如月さん?」
問いかけると、彼は目を閉じてゆっくと息を吐いく。
そして観念したように口を開いた。
「女子力は……まぁともかくとして、彼氏は作ってほしくないんだ」
「…………え?」
可奈子の口から声が漏れる。言葉の意図がまったくわからなかった。
すると総司は、軽く咳払いをしてからゆっくりと目を開いた。
「伊東さん、俺と付き合ってくれないか?」
「…………え!」
大きな声をあげて、可奈子はそのまま絶句してしまう。自分の耳が信じられなかった。
「つまり、俺が君の彼氏になりたいんだ。だから他に彼氏を作ってほしくない」
ストレートな言葉のはずなのに、言葉の意味がすんなり頭に入ってこない。
プチパニック状態だからだ。
だって、そんなこと、ありえない。
まさか彼が可奈子の彼氏になりたいだなんて。
唖然としたままの可奈子に、総司が困ったように問いかけた。
「迷惑かな?」
「え⁉︎ そ、そんなこと、あ、ありませんっ!」
可奈子は弾かれたように反応した。
「で、でも……!」
「でも?」
「こ、こうやって、お話するようになってからまだそんなに経っていないのに……」
というよりは話をした中で、いったいなにが彼にそうさせたのだろうと疑問に思う。
さっき自分で言った通り、彼との会話の内容は全体的に食べ物の話で、女子力は低めだったはずなのに。
「確かに、話をするようになってそれほど経ってはいないけど、俺にとっては十分な時間だった。君を、好きになるには」
「如月さん……」
まるで勤務中に機体に乗り込む時のような真剣な眼差しが、可奈子の胸を真っ直ぐ刺した。
「仙台も、広島も、鹿児島も楽しかった。あっというまの時間だったよ。もっと君と一緒にいたいと思ったんだ」
"好きになるには十分な時間だった"
可奈子だって、まったく同じ気持ちだった。いやもしかしたら可奈子の方は、一番はじめの福岡の夜に、すでに恋に落ちていたのかも……。
「如月さん、わ、私、あの……!」
彼と自分は同じ気持ちだったのだ。
ただそれが嬉しくて、可奈子は彼からの告白に応えようと口を開く。でもそこで突然あることが頭に浮かび口を噤んだ。
『パイロットなんてモテる職業なんだから、浮気の一度や二度あるだろう。パイロットと結婚したんだからそのくらいは覚悟していないと』
祖父の言葉だった。
そうだ、彼はパイロット。
しかもたくさんの女性を現在進行形で虜にし続けている特別なパイロットなのだ。
その彼と恋人になるというならば、覚悟しなくてはならないのだろうか。
祖父が母に言ったように。
「伊東さん? ……ごめん、困らせるつもりはなかったんだ」
申し訳なさそうに総司が言う。
可奈子はぶんぶんと首を振った。
「ち、違うんです! 困ってるんじゃなくて、その……!」
でもどう言えばいいのかは、わからなかった。
彼の気持ちに今すぐに応えたいという恋心と、このままでは母と同じ道を辿るのではないかという不安が、胸の中でマーブル模様を作っている。
いくらぐるぐるかき混ぜてもいい考えは浮かばなかった。
「わ、私……」
混乱して可奈子は泣きそうになってしまう。
自分は、いったいどうすべきなのだろう。
総司が可奈子の腕をそっと掴んだ。
「伊東さん、落ち着いて。すぐに答えを出さなくていい」
「如月さん……」
「もちろんまったく可能性がないなら、今すぐ断ってくれたらいい。でもそうじゃない、なにかが引っかかっているのなら俺はいつまでも待つから」
静かな眼差しがまるで労わるように可奈子をジッと見つめている。
それを見つめ返すうちに、心の嵐が少し凪いで可奈子は落ち着きを取り戻す。
ふうっとひとつ息を吐くと、今自分が言うべき言葉が頭の中に浮かんでくる。
「わ、私も、如月さんが好きです。お話ししている時間がとっても楽しくて……もっと話がしたい、一緒にいたいって思います。だから、とっても嬉しいです! でも……でもお返事は、少し待ってほしいんです」
心の整理が必要だ、と可奈子は思う。
可奈子の中のこだわりは、他の人から見たらちっぽけで、くだらないことだろう。
こんなことで、総司からの告白を保留にするなんてありえない。
でも可奈子にとっては、重要なことなのだ。
父が出て行って祖父の言葉を聞いてからずっと胸の中で唱えていた恋愛についての約束事。
まずはそれから自分自身を解き放たなければならなかった。
「如月さんとはまったく関係ないことなんですが、その、心の準備を整えたいんです。すみません……」
申し訳なくて小さな声で謝ると、大きな手が頭に乗る。
はじめて触れる彼の温もりだった。
総司がふわりと微笑んだ。
「謝らなくていい。いつまでも待つよ。俺は、その言葉をもらえただけで満足だ」
心地のいい風が吹き抜けてなびく髪を押さえながら、可奈子は並んで歩く背の高い総司を見上げる。
総司が眩しそうに目を細めて微笑んだ。
「そうだね」
総司のステイの際に予定を合わせて一緒に食事をするという関係が始まって数カ月が経ったこの日、ふたりは札幌の大通り公園にいた。たまたま重なった休みを利用して、ふたりでやってきたのである。
東京よりもどこか清々しい空気の中、太陽の光の元でにっこりと微笑む彼を、可奈子は新鮮な気持ちで見つめていた。
ステイの際の食べ歩きは夕食だから、いつもは夜の街を一緒に歩く。
明るい街を一緒に歩いているのがなんだか気恥ずかしく感じた。
この日までに、ふたりが一緒に食事をしたのは三度ほど。
仙台の牛タン、広島のお好み焼き、鹿児島の黒豚しゃぶしゃぶ。
どれも美味しくて、なによりも楽しい時間だった。
世界中を飛び回る彼の話は、どれだけ聞いていても飽きることはなかったけれど、彼は聞き上手でもあった。
仕事のこと、食べ歩きのことや土産物に関する考察など、思いつくままに口にする可奈子の話を、少し茶色い目を瞬かせながら少しも迷惑そうにはせずに嬉しそうに聞いてくれる。
別れる時は、物足りないもっと一緒にいたいといつも少し残念に思う。
「あっちにソフトクリームの屋台が出てる。食べる?」
前方を指差して総司が可奈子に問いかける。
「はい!」
元気よく答えてから、可奈子は頬を染めた。
「あ、……でも」
総司が首を傾げた。
「どうした? 無理しなくても……」
「そうじゃないんです」
可奈子は慌ててかぶりを振った。
「あの……もうたくさん食べたのに、まだ食べられるなんて……ちょっとよくばりですよね」
時刻は午後三時を回っている。
朝早くの便で新千歳空港に到着して札幌までやってきた。
総司がよく行くという店で、海鮮丼を少し早い昼食として食べて、しばらく街を散策していたら、やっぱりラーメンも食べたいねという話になったから、さっきラーメン屋さんに立ち寄った。
それなのに、まだソフトクリームも食べたいだなんて、呆れられたりはしないだろうか。
すると総司が噴き出した。
「今さらだな‼︎」
はははと声をあげて笑っている。手放しの笑顔が可奈子のハートを直撃した。
「
君が食いしん坊なのはもう知ってるよ。それにそれは俺も一緒だろう」
「そうですけど。でも……」
「いいから行こう。そのために来たんだから」
そう言って先を行く大きな背中に、可奈子はドキドキが止まらなかった。
食べ歩き友達になって、メールのやり取りをするようになっても、ふたりはあくまでも友人同士という距離を保っていた。
楽しい時間を過ごしても彼からそれ以上のなにかを感じさせる言葉を言われることはなかった。
でも可奈子の方は、確実に彼に惹かれはじめていた。
彼と話をするようになってから知った、それまで感じたことのないたくさんの想い。
彼の隣にいるだけでわくわくと躍るように高鳴る鼓動。
彼の香りを感じるとひとりでに熱くなる頬。
そしてなにより勤務中にパイロットの制服姿の彼を見かけると、やはり遠い人なのだと切なく締め付けられるように痛む心が、可奈子に彼を特別な存在なのだということを認識させたのだ。
彼のことが頭に浮かんで、眠れない夜をもう何日過ごしただろう。
「伊東さんは、なに味にする?」
屋台の前で振り返り、総司が優しく可奈子に尋ねる。柔らかな眼差し、いつもとは違うシチュエーションに可奈子は少し期待する。
今日はいつもみたいにステイだからという理由ではなく、ふたりで予定を合わせてここへ来た。
美味しいものがたくさんある北海道へ行くとしたらせっかくなら休みを使って日帰り旅行にしないかと、総司から誘われたのだ。それに可奈子は、迷うことなく頷いた。
もちろん彼は、友人として誘ってくれたのだろう。
それ以上のなにかなんてあるはずがない。でもどこかで期待してしまうのはどうしようもなかった。彼の話を信じるならば、彼がこうやって会っている異性は可奈子だけなのだから。
牧場直営だという屋台で、バニラアイスを買って、近くのベンチに腰を下ろす。
目の前を、手を繋いだカップルが通り過ぎる。
はたからみたら、自分たちもあんな風に恋人同士に見えるのだろうか。
「食べないの? 溶けるよ」
ぼんやりとカップルを見つめていた可奈子は声をかけられてハッとする。
「え? あ、いえ。いただきます……」
身の程知らずの自分自身の考えが、なんだかすごく恥ずかしかった。
全然知らない人が見ても、彼と自分は釣り合わない。
だって、公園の緑を眺めながらソフトクリームを食べる完全にプライベートモードの彼は、映画から抜け出てきたかのように素敵だった。
いつもよりラフに整えられた茶色い髪、ソフトクリームを持つ大きな手、ノンアイロンのジャケットに襟のないシャツから覗く男らしい喉元が……。
と、そこでチラリとこちらに視線を移した彼の瞳と目が合って、どきりとして目を伏せる。
慌ててソフトクリームにかぶりついた。
ジッと見つめてしまっていたことを変に思われてしまっただろうか。
今度は彼からの視線を感じて、可奈子の頬は熱くなった。
「あいかわらず美味しそうに食べるね、伊東さんは」
「え?」
「伊東さんが美味しそうに食べる姿を見てるとこっちまで嬉しくなってくるよ。なんでも食べさせてあげたくなる」
にこにこして彼は言う。
可奈子はくすぐったいような気持ちになった。
自分は彼よりも随分年下で、会社での立場も能力もまったく彼には及ばない。おそらく恋愛対象にはなれないだろう。
それでも少なくとも彼の方も自分との時間を楽しんでいるということだ。
「食いしん坊な部下で、すみません」
何気ない彼の言葉に心の中で嬉しくなってしまっているのをごまかしたくて可奈子はそんな言葉を口にする。
「食べることばっかりに興味があるなんて、ちょっと女としてはどうかなって感じですけど」
うつむいて、食べ終えたソフトクリームの紙を意味もなく折り畳んだ。
「もうちょっと、服とかメイクのことにも興味を持てって友達には言われます」
「そうなんだ。今でも十分可愛いと思うけど」
「え⁉︎ そ、そんなことは……」
彼の口から出た"可愛い"という言葉に、可奈子の胸が飛び跳ねる。
ただのお世辞あるいはフォローだと、慌てて自分に言い聞かせるが、ドキドキと走り出す鼓動を止めることはできなかった。
「の、飲み会でも気の利いた話が全然できなくて。だからなかなか彼氏ができないんですよね」
どぎまぎしながら、思わず言わなくていいことまで口走る。可奈子の恋愛事情など、彼にはまったく関係のない話なのに。
「もうちょっと女子力を上げなきゃいけないって思ってて、今度友達と……」
その時。
「その必要はない」
総司の言葉遮られて、可奈子は口を噤み目をパチパチさせる。顔を上げると、彼はしまったというように口元を手で覆っていた。
「いや、その……」
視線を逸らし、気まずそうにしている。
いつも堂々としていて、なにをするにもスマートな彼のこんなところを見るのははじめてのことだった。
「如月さん?」
問いかけると、彼は目を閉じてゆっくと息を吐いく。
そして観念したように口を開いた。
「女子力は……まぁともかくとして、彼氏は作ってほしくないんだ」
「…………え?」
可奈子の口から声が漏れる。言葉の意図がまったくわからなかった。
すると総司は、軽く咳払いをしてからゆっくりと目を開いた。
「伊東さん、俺と付き合ってくれないか?」
「…………え!」
大きな声をあげて、可奈子はそのまま絶句してしまう。自分の耳が信じられなかった。
「つまり、俺が君の彼氏になりたいんだ。だから他に彼氏を作ってほしくない」
ストレートな言葉のはずなのに、言葉の意味がすんなり頭に入ってこない。
プチパニック状態だからだ。
だって、そんなこと、ありえない。
まさか彼が可奈子の彼氏になりたいだなんて。
唖然としたままの可奈子に、総司が困ったように問いかけた。
「迷惑かな?」
「え⁉︎ そ、そんなこと、あ、ありませんっ!」
可奈子は弾かれたように反応した。
「で、でも……!」
「でも?」
「こ、こうやって、お話するようになってからまだそんなに経っていないのに……」
というよりは話をした中で、いったいなにが彼にそうさせたのだろうと疑問に思う。
さっき自分で言った通り、彼との会話の内容は全体的に食べ物の話で、女子力は低めだったはずなのに。
「確かに、話をするようになってそれほど経ってはいないけど、俺にとっては十分な時間だった。君を、好きになるには」
「如月さん……」
まるで勤務中に機体に乗り込む時のような真剣な眼差しが、可奈子の胸を真っ直ぐ刺した。
「仙台も、広島も、鹿児島も楽しかった。あっというまの時間だったよ。もっと君と一緒にいたいと思ったんだ」
"好きになるには十分な時間だった"
可奈子だって、まったく同じ気持ちだった。いやもしかしたら可奈子の方は、一番はじめの福岡の夜に、すでに恋に落ちていたのかも……。
「如月さん、わ、私、あの……!」
彼と自分は同じ気持ちだったのだ。
ただそれが嬉しくて、可奈子は彼からの告白に応えようと口を開く。でもそこで突然あることが頭に浮かび口を噤んだ。
『パイロットなんてモテる職業なんだから、浮気の一度や二度あるだろう。パイロットと結婚したんだからそのくらいは覚悟していないと』
祖父の言葉だった。
そうだ、彼はパイロット。
しかもたくさんの女性を現在進行形で虜にし続けている特別なパイロットなのだ。
その彼と恋人になるというならば、覚悟しなくてはならないのだろうか。
祖父が母に言ったように。
「伊東さん? ……ごめん、困らせるつもりはなかったんだ」
申し訳なさそうに総司が言う。
可奈子はぶんぶんと首を振った。
「ち、違うんです! 困ってるんじゃなくて、その……!」
でもどう言えばいいのかは、わからなかった。
彼の気持ちに今すぐに応えたいという恋心と、このままでは母と同じ道を辿るのではないかという不安が、胸の中でマーブル模様を作っている。
いくらぐるぐるかき混ぜてもいい考えは浮かばなかった。
「わ、私……」
混乱して可奈子は泣きそうになってしまう。
自分は、いったいどうすべきなのだろう。
総司が可奈子の腕をそっと掴んだ。
「伊東さん、落ち着いて。すぐに答えを出さなくていい」
「如月さん……」
「もちろんまったく可能性がないなら、今すぐ断ってくれたらいい。でもそうじゃない、なにかが引っかかっているのなら俺はいつまでも待つから」
静かな眼差しがまるで労わるように可奈子をジッと見つめている。
それを見つめ返すうちに、心の嵐が少し凪いで可奈子は落ち着きを取り戻す。
ふうっとひとつ息を吐くと、今自分が言うべき言葉が頭の中に浮かんでくる。
「わ、私も、如月さんが好きです。お話ししている時間がとっても楽しくて……もっと話がしたい、一緒にいたいって思います。だから、とっても嬉しいです! でも……でもお返事は、少し待ってほしいんです」
心の整理が必要だ、と可奈子は思う。
可奈子の中のこだわりは、他の人から見たらちっぽけで、くだらないことだろう。
こんなことで、総司からの告白を保留にするなんてありえない。
でも可奈子にとっては、重要なことなのだ。
父が出て行って祖父の言葉を聞いてからずっと胸の中で唱えていた恋愛についての約束事。
まずはそれから自分自身を解き放たなければならなかった。
「如月さんとはまったく関係ないことなんですが、その、心の準備を整えたいんです。すみません……」
申し訳なくて小さな声で謝ると、大きな手が頭に乗る。
はじめて触れる彼の温もりだった。
総司がふわりと微笑んだ。
「謝らなくていい。いつまでも待つよ。俺は、その言葉をもらえただけで満足だ」