敏腕パイロットは純真妻を溢れる独占愛で包囲する
食堂にて
たくさんの空港関係者が休憩時間を過ごしている空港食堂の片隅で、可奈子は由良とランチを取っている。
カレーライスを食べながら可奈子はふぅとため息をついた。
勤務中はやることが盛りだくさんだから、プライベートでの心配事を思い出してつらくなることはあまりない。
でもこうやってひとたび業務を離れると、どうしても浮かない気分になってしまう。
よくない考えが暴れ出してしまうのだった。
スカイスパイを観ていたことが総司にバレて一夜明けた今日の朝、やっぱり可奈子は彼を対して自然に振る舞うことはできなかった。
夜ご飯はなにを食べたいかという簡単な質問にもろくに答えられず家を飛び出してきてしまったのだ。
彼のそばにいたいならば、なにがあってもなにも知らない幸せな妻を演じ抜かなくてはならない。
それができないのであれば別れるしかないのだ。
それなのに可奈子はどちらも中途半端。
彼と別れられないくせに、普通に過ごすこともできていない。
どっちつかずで弱い自分が情けなかった。
「可奈子、どうしたの? ため息ばかりついてるよ」
向かいの席る由良が心配顔でオムライスのスプーンを置く。
可奈子はハッとして、彼女を見た。
「え? そ、そう? ……午前中ハードだったからかな。ロンドン便で遅れが出たでしょ? あれでちょっとトラブッちゃってさ」
慌ててそう言い訳をする。
そして話を逸らそうと、彼女の方に話題を向けた。
「そういえば由良、結婚の方は進んでるの? 入籍はもうするんでしょう? 式場は決まった?」
確か由良は半年後には彼と一緒に住み始めると言っていた。
しっかり者の彼女だから着々と準備を進めているはずだ。
「それが、まだなのよ」
由良が残念そうに肩を落とした。
「いいなーと思うとこは大体予約がいっぱいで、一年先、二年先ってとこもあるのよ! せめて半年先くらいでないかなーって探してるんだけど」
「そうだよね」
可奈子は頷いた。普通に考えたらそうだろう。
人気の式場は予約がいっぱいで、大抵は最短でも一年先くらいの日の予約しか取れない。
「可奈子の時はちょうどキャンセルが出たって言ってたよね。いいなぁ。ラッキーだよね」
「う、うん……」
どきりとしながら可奈子は頷く。動揺しているのを気付かれないように、カレーライスをせっせと食べた。
可奈子と総司は、はじめて式場見学に行った日から数えて三カ月で式を挙げられた。
見学の時にちょうどキャンセルの連絡が入って、プランナーに予約するなら今しかないと勧められたのだ。
ラッキーだったと喜んだけれど、やっぱりどう考えてもタイミングがよすぎる話だった。
あの時の総司に不審な点はまったくなかったけれど、可奈子が式場を気に入ったのを見て、総司のバックにある組織がねじ込んだのだろう。
こうやって、ひとつひとつじっくりと考えたら不自然なところはたくさんあった。
それなのにその時はまったく疑問に思わなかった自分はなんてぼんやりなんだろう。
でもきっとそういうところが偽装結婚の相手として選ばれた理由なのだ。
彼に騙されていたと思うと、胸が締め付けられてつらいけれど、もし自分が選ばれなかったら彼との時間はなかった。
彼を愛する気持ちも知らなかったのだと思うと複雑な気分だった。
今から過去に戻り、どっちの道を自ら選べるとするといったい自分はどちらの道を選ぶのだろう。
カレーを食べ終えて可奈子は小さく息を吐いた。
同じようにオムライスを食べ終えて、由良が頬杖をついた。
「可奈子の式場めちゃくちゃよかったよね。ドレスも最高級だったし、料理も美味しかった。ゲストからの評判もよかったんでしょ?」
「うん、まぁ……」
可奈子は頷く。
すると由良が肩を竦めた。
「ま、でも、私たちは可奈子たちほどの式場は無理かな。ちょっとグレード高すぎるもんね。やっぱり同じ社内結婚でもパイロットの旦那だと違うなって思ったよ。うちの彼は本社勤務だもんね」
「……ふたりが仲よしだったら式なんてなんだっていいじゃない。私は入社以来ずっと付き合ってる由良たちが羨ましいよ……」
可奈子は呟くように言う。
お世辞でも慰めでもない、本心だった。
豪華な式を挙げられなかったとしても、心から愛し合い信頼し合う夫婦だったらそれでいい。
そうなりたいというのが今の可奈子の切なる願いだ。
「……可奈子まだ、やっぱりマリッジブルーなの?」
可奈子の言葉に、由良がまた心配顔になる。
「……え? そ、そんなことないよ」
慌てて首を振るけれど、由良は納得できないようだった。
「一緒に生活してみたら思ってたのと違ってたっていうのは、珍しくない話だよ。……大丈夫? 私でよかったら相談に乗るよ」
友人からのありがたい言葉に可奈子の胸が温かくなる。
でももちろん相談などできるはずがなかった。
総司の組織がいったいどういうモノか、彼が負う任務はなんなのか、そこまではわからない。
でも少なくとも彼の正体を知った人間をそのままにしておかないだろうということくらいは想像できる。
由良に迷惑をかけるわけにはいかない。
「ありがとう、由良。如月さんって年上だから、同期の由良たちカップルみたいになんでもぽんぽん言い合えるって感じじゃないんだよね。それが羨ましく思う時があるの」
もっともらしいことを口にすると、由良が頷いた。
「ま、そうだよね。如月さんなんて、本当なら雲の上の人だもん。スペックも高くて完璧なのに、あの年まで独身なのがNANA・SKY七不思議のひとつだって言われてたくらいなんだから」
その言葉に可奈子の胸はドキリとする。
やはり彼が独身のままなのは不自然だと社内で言われはじめていたのだ。
だから、彼は……。
「実はサイボーグなんじゃないかっていう人もいたくらいで……可奈子? 可奈子ってば」
「え? あ、そ、そうだよね。私もなんかそんな風に思ってた。完璧すぎて同じ人間とは思えないっていうか」
慌てて取り繕う。
由良がため息をついた。
「本当に、大丈夫? やっぱり今日は変だよ。可奈子」
可奈子はうつむいて黙り込んだ。
本当のことを言うわけにはいかない由良に対してなんでもない風を装うこともできない。
やっぱり自分はスパイの妻失格だ。
そんな可奈子を由良はしばらく見つめていたが、少し考えてから迷うように口を開いた。
「……そもそもさ、可奈子はどうしてパイロットとは結婚したくないって思ってたの?」
可奈子はゆっくりと顔を上げた。
「入社したばかりの頃にさ、コーパイとの飲み会に誘ったことがあったじゃない? あの時可奈子"私はパイロットの方々とは個人的な知り合いになりたくない"って言ってて、すごく深刻に見えたから、詳しく聞がない方がいいのかなって思ったんだけど。……なにか理由があるんでしょ? それと今回のマリッジブルーは関係あるの?」
そういえば、可奈子はパイロットが苦手というのが、ふたりの間の共通の認識としてありながら、"なぜ苦手なのか"ということを聞かれたことはなかった。
可奈子の気持ちを考えてくれていたのだ。それをありがたく思いながら可奈子はひと口水を飲む。そして話し始めた。
「……私、父親がパイロットだったの。うちの会社じゃないんだけど。私が中三の時に父親の浮気が原因で離婚したんだ。パイロットってしょっちゅう地方でステイがあるでしょ? ……その時に。そもそもパイロットって、パイロットっていうだけでモテるじゃない。多少の浮気は仕方がないっていう覚悟がないと結婚なんてするもんじゃないって母が祖父に言われてるのを聞いちゃって。だったら私は絶対にパイロットとは結婚しないって決めてたの」
「……そうなんだ」
由良が頷いた。
「嫌なこと聞いてごめんね」
「ううん、それはいいの。私、すっごくこだわってて、なんなら恋愛にも臆病になってたんだけど、それもももう大丈夫。だから如月さんと結婚したんだから」
パイロットとは結婚したくない、恋人にだってなりたくない。可奈子のその頑なな心を溶かしてくれたのは他でもない総司だった。
総司がいたから可奈子は新しい一歩を踏み出すことができたのだ。
可奈子は手の中の水が入ったグラスを見つめる。
そしてあの日のことを思い出していた。
カレーライスを食べながら可奈子はふぅとため息をついた。
勤務中はやることが盛りだくさんだから、プライベートでの心配事を思い出してつらくなることはあまりない。
でもこうやってひとたび業務を離れると、どうしても浮かない気分になってしまう。
よくない考えが暴れ出してしまうのだった。
スカイスパイを観ていたことが総司にバレて一夜明けた今日の朝、やっぱり可奈子は彼を対して自然に振る舞うことはできなかった。
夜ご飯はなにを食べたいかという簡単な質問にもろくに答えられず家を飛び出してきてしまったのだ。
彼のそばにいたいならば、なにがあってもなにも知らない幸せな妻を演じ抜かなくてはならない。
それができないのであれば別れるしかないのだ。
それなのに可奈子はどちらも中途半端。
彼と別れられないくせに、普通に過ごすこともできていない。
どっちつかずで弱い自分が情けなかった。
「可奈子、どうしたの? ため息ばかりついてるよ」
向かいの席る由良が心配顔でオムライスのスプーンを置く。
可奈子はハッとして、彼女を見た。
「え? そ、そう? ……午前中ハードだったからかな。ロンドン便で遅れが出たでしょ? あれでちょっとトラブッちゃってさ」
慌ててそう言い訳をする。
そして話を逸らそうと、彼女の方に話題を向けた。
「そういえば由良、結婚の方は進んでるの? 入籍はもうするんでしょう? 式場は決まった?」
確か由良は半年後には彼と一緒に住み始めると言っていた。
しっかり者の彼女だから着々と準備を進めているはずだ。
「それが、まだなのよ」
由良が残念そうに肩を落とした。
「いいなーと思うとこは大体予約がいっぱいで、一年先、二年先ってとこもあるのよ! せめて半年先くらいでないかなーって探してるんだけど」
「そうだよね」
可奈子は頷いた。普通に考えたらそうだろう。
人気の式場は予約がいっぱいで、大抵は最短でも一年先くらいの日の予約しか取れない。
「可奈子の時はちょうどキャンセルが出たって言ってたよね。いいなぁ。ラッキーだよね」
「う、うん……」
どきりとしながら可奈子は頷く。動揺しているのを気付かれないように、カレーライスをせっせと食べた。
可奈子と総司は、はじめて式場見学に行った日から数えて三カ月で式を挙げられた。
見学の時にちょうどキャンセルの連絡が入って、プランナーに予約するなら今しかないと勧められたのだ。
ラッキーだったと喜んだけれど、やっぱりどう考えてもタイミングがよすぎる話だった。
あの時の総司に不審な点はまったくなかったけれど、可奈子が式場を気に入ったのを見て、総司のバックにある組織がねじ込んだのだろう。
こうやって、ひとつひとつじっくりと考えたら不自然なところはたくさんあった。
それなのにその時はまったく疑問に思わなかった自分はなんてぼんやりなんだろう。
でもきっとそういうところが偽装結婚の相手として選ばれた理由なのだ。
彼に騙されていたと思うと、胸が締め付けられてつらいけれど、もし自分が選ばれなかったら彼との時間はなかった。
彼を愛する気持ちも知らなかったのだと思うと複雑な気分だった。
今から過去に戻り、どっちの道を自ら選べるとするといったい自分はどちらの道を選ぶのだろう。
カレーを食べ終えて可奈子は小さく息を吐いた。
同じようにオムライスを食べ終えて、由良が頬杖をついた。
「可奈子の式場めちゃくちゃよかったよね。ドレスも最高級だったし、料理も美味しかった。ゲストからの評判もよかったんでしょ?」
「うん、まぁ……」
可奈子は頷く。
すると由良が肩を竦めた。
「ま、でも、私たちは可奈子たちほどの式場は無理かな。ちょっとグレード高すぎるもんね。やっぱり同じ社内結婚でもパイロットの旦那だと違うなって思ったよ。うちの彼は本社勤務だもんね」
「……ふたりが仲よしだったら式なんてなんだっていいじゃない。私は入社以来ずっと付き合ってる由良たちが羨ましいよ……」
可奈子は呟くように言う。
お世辞でも慰めでもない、本心だった。
豪華な式を挙げられなかったとしても、心から愛し合い信頼し合う夫婦だったらそれでいい。
そうなりたいというのが今の可奈子の切なる願いだ。
「……可奈子まだ、やっぱりマリッジブルーなの?」
可奈子の言葉に、由良がまた心配顔になる。
「……え? そ、そんなことないよ」
慌てて首を振るけれど、由良は納得できないようだった。
「一緒に生活してみたら思ってたのと違ってたっていうのは、珍しくない話だよ。……大丈夫? 私でよかったら相談に乗るよ」
友人からのありがたい言葉に可奈子の胸が温かくなる。
でももちろん相談などできるはずがなかった。
総司の組織がいったいどういうモノか、彼が負う任務はなんなのか、そこまではわからない。
でも少なくとも彼の正体を知った人間をそのままにしておかないだろうということくらいは想像できる。
由良に迷惑をかけるわけにはいかない。
「ありがとう、由良。如月さんって年上だから、同期の由良たちカップルみたいになんでもぽんぽん言い合えるって感じじゃないんだよね。それが羨ましく思う時があるの」
もっともらしいことを口にすると、由良が頷いた。
「ま、そうだよね。如月さんなんて、本当なら雲の上の人だもん。スペックも高くて完璧なのに、あの年まで独身なのがNANA・SKY七不思議のひとつだって言われてたくらいなんだから」
その言葉に可奈子の胸はドキリとする。
やはり彼が独身のままなのは不自然だと社内で言われはじめていたのだ。
だから、彼は……。
「実はサイボーグなんじゃないかっていう人もいたくらいで……可奈子? 可奈子ってば」
「え? あ、そ、そうだよね。私もなんかそんな風に思ってた。完璧すぎて同じ人間とは思えないっていうか」
慌てて取り繕う。
由良がため息をついた。
「本当に、大丈夫? やっぱり今日は変だよ。可奈子」
可奈子はうつむいて黙り込んだ。
本当のことを言うわけにはいかない由良に対してなんでもない風を装うこともできない。
やっぱり自分はスパイの妻失格だ。
そんな可奈子を由良はしばらく見つめていたが、少し考えてから迷うように口を開いた。
「……そもそもさ、可奈子はどうしてパイロットとは結婚したくないって思ってたの?」
可奈子はゆっくりと顔を上げた。
「入社したばかりの頃にさ、コーパイとの飲み会に誘ったことがあったじゃない? あの時可奈子"私はパイロットの方々とは個人的な知り合いになりたくない"って言ってて、すごく深刻に見えたから、詳しく聞がない方がいいのかなって思ったんだけど。……なにか理由があるんでしょ? それと今回のマリッジブルーは関係あるの?」
そういえば、可奈子はパイロットが苦手というのが、ふたりの間の共通の認識としてありながら、"なぜ苦手なのか"ということを聞かれたことはなかった。
可奈子の気持ちを考えてくれていたのだ。それをありがたく思いながら可奈子はひと口水を飲む。そして話し始めた。
「……私、父親がパイロットだったの。うちの会社じゃないんだけど。私が中三の時に父親の浮気が原因で離婚したんだ。パイロットってしょっちゅう地方でステイがあるでしょ? ……その時に。そもそもパイロットって、パイロットっていうだけでモテるじゃない。多少の浮気は仕方がないっていう覚悟がないと結婚なんてするもんじゃないって母が祖父に言われてるのを聞いちゃって。だったら私は絶対にパイロットとは結婚しないって決めてたの」
「……そうなんだ」
由良が頷いた。
「嫌なこと聞いてごめんね」
「ううん、それはいいの。私、すっごくこだわってて、なんなら恋愛にも臆病になってたんだけど、それもももう大丈夫。だから如月さんと結婚したんだから」
パイロットとは結婚したくない、恋人にだってなりたくない。可奈子のその頑なな心を溶かしてくれたのは他でもない総司だった。
総司がいたから可奈子は新しい一歩を踏み出すことができたのだ。
可奈子は手の中の水が入ったグラスを見つめる。
そしてあの日のことを思い出していた。