敏腕パイロットは純真妻を溢れる独占愛で包囲する
本当の夫婦に
青い海に囲まれた南大西洋の島に機体はスムーズに着陸した。南の島の少し小さな空港はリゾート地で休暇を過ごす人たちののんびりとした空気に包まれている。
小さく手を振る里香に別れを告げて、空港に降り立った可奈子の胸はわくわくと踊り出す。これから一週間の滞在中は総司とふたりずっと一緒にいられるのだ。
結婚しているとはいえ、お互いに忙しくする中で、こんなにたくさんの時間を一緒に過ごせるのははじめてのことだった。
でも出国手続きを終えてロビーに出たふたりを待ち受けていたのは、ちょっとしたハプニングだった。
荷物を総司に任せて手洗いに行き戻ってきてみると、彼が他社のCAと思しき女性ふたり組に声をかけられていたのである。
「あの、NANA・SKYの機長さんですよね」
「……はい、そうですが」
「やっぱり。成田でよくお見かけするなと思いまして、今日はプライベートで来られたんですか?」
「ええ、そうです」
可奈子は彼らに近寄るが、ふたりは可奈子を総司の連れだとは思っていないのだろう。会話を続けている。ふたりは「ラッキーじゃん」などと囁き合ってから、また総司に問いかける。
「えーと……どなたかと、ご一緒なんですか?」
総司が答えた。
「ええ、家族旅行です」
なにもおかしくはその言葉に、可奈子はなぜかムッとする。
家族旅行。
確かにそれはそうだけど……。
と、その時。
「可奈子」
総司が可奈子に気が付いた。そして女性たちに「それじゃ、すみません」と断ってから、可奈子のところへやってくる。
女性たちは残念そうにため息をついて去っていった。
「行こうか、タクシー乗り場は確かあっちだ」
そう言う彼に頷いて可奈子は彼についていく。なんだか胸がもやもやとした。
彼が女性から声をかけられやすいことくらいは知っている。勤務中に他社のCAに食事に誘われているのを見たとしょっちゅう先輩たちが騒いでいた。
だからなにを今更と思わなくもないけれど、実際に目にするとやっぱり気持ちのいいものではない。
これから一週間は誰の目も気にせずに彼をひとりじめできるのだと、わくわくしていたのに、その気持ちに水をさされたような気分だった。
しかも総司が家族旅行だなんて曖昧なことを言うものだから……。
「可奈子? どうしたんだ?」
可奈子の様子に気が付いて、総司が立ち止まって問いかける。
可奈子はハッとして足を止めた。
「え? う、ううん、なんでもない」
ムカッときたのは事実だが、まさかそれをそのまま言うわけにはいかない。声をかけられたのは彼のせいではないし、間違ったことを言ったわけではないのだから。
「行こう」
ごまかすように明るく言うがそれで総司は納得しない。難しい表情になって先を行こうとする可奈子の前に立ちはだかった。
「ダメだ。可奈子の"なんでもない"は信用できない」
「総司さん……」
「思ってることはなんでも言うって約束したじゃないか」
「でも」
うつむいて可奈子は黙り込んだ。
確かにそう約束した。でもいくらなんでもこんなくだらないことを口にするべきではないだろう。
なんて子供っぽいやつなんだときっと呆れられてしまう。
「……夫婦でもなにもかも言う必要はないと思う。言わない方がいいことだってあるわ」
可奈子が言うと総司が頷いた。
「確かにそうだ。だがそれが可奈子が我慢しなくてはならないことならば、言ってほしい。言うだけで何か変わるかもしれないだろう?」
「すごくくだらないことだもの」
「でも可奈子にとっては大事なことなんだろう? 大丈夫、言ってごらん?」
優しい彼の声音に可奈子の決心はぐらぐら揺れる。でもやっぱり言えなかった。
「が、我慢っていうほどのことではないわ。変な態度をとってごめんなさい」
うつむいたままそう言うと、総司がため息をついた。
「……わかった」
ようやく納得してもらえたと安堵かけて、可奈子の肩がぎくりとする。
総司がにっこりと不自然なくらいに優雅に微笑んでいるからだ。
「そ、総司さん……?」
なんだかとても嫌な予感がする。
この笑顔、いつかの夜に見たような……。
恐る恐る呼びかける可奈子に、総司がにっこりとしたまま口を開いた。
「可奈子にはまだ練習が必要だな」
「え? れれれ、練習……?」
これまたいつかの夜を彷彿とさせられるワードだった。
「そうだ。まだ可奈子は俺に遠慮があるみたいだから、ちゃんと気持ちを言えるようになるためにもう少し練習する必要がありそうだ」
「え……ええ⁉︎」
「妻にできないことがあるなら、できるまで付き合うのが夫の役目だ」
なにやら不穏な言葉を口にして、総司は相変わらず胡散くさいくらいににこやかな笑みを浮かべている。
「幸いこれから一週間はずっと一緒にいられるんだ。時間はいくらでも……」
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って……!」
慌てて可奈子はストップをかけた。
彼の言う練習の意味を可奈子は嫌というほど知っている。もちろんあれがつらいいうわけではないけれど、"時間はいくらでもある"と言われてしまうと、いくらなんでも……。
「い、言います! 言います!」
総司が首を傾げて、先を促した。
「えっと……」
可奈子は考えながら口を開いた。
「さっき総司さん、他の航空会社の女の人に声をかけられていたでしょう? ……それが少し嫌だった」
「なるほど」
「総司さんが女性に誘われやすいっていうのは知ってる。私が入社した時から先輩たちが言ってたもん。だからいつもならなんにも思わないの。でも今は、仕事中じゃないのになって思ったらもやもやしちゃったの。それに総司さんが……」
そこまで言って可奈子はチラリと彼を見る。
総司が眉を上げた。
「俺が?」
「か……家族旅行だなんて言うから……」
可奈子の言葉に、総司はだからなんだというように瞬きをしている。それが憎らしくて、可奈子はムッとして呟いた。
「ちゃんと新婚旅行だって言ってほしかったの!」
すると彼は一瞬不意を突かれたような表情になる。そして次の瞬間破顔した。
「そういうことか!」
「そういうことです……」
下心ありで声をかけてくる人たちに、きっぱりはっきり"妻がいる"と言ってほしかったなどという子供っぽい主張をついに口にしてしまったと、可奈子は眉を下げる。
総司の方は心底嬉しそうにしている。
「可愛いな、可奈子は」
「か、可愛いって……!」
可奈子は頬を膨らませた。
「可愛いよ。それに嬉しい。こんな可愛いやきもちなら、いくらでも大歓迎だ」
「もう……」
「なんにせよ。次からは気を付けるよ」
そう言って頭を撫でる総司を見つめながら、可奈子は胸に不思議な気持ちが広がっていくのを感じていた。
ちょっとした不満や不安なんて口するべきじゃない。伝えて総司に嫌われるくらいなら黙っている方がいいと思っていた。
その方が夫婦としてうまくいくはずと。
でも勇気を出して伝えてみたら、こんな風に思いがけない反応が返ってくることもあるのだ。
言ったところで状況としてはなにも変わらない。
これからも彼は声をかけられ続けるだろう。
それでも、こうやって彼に柔らかく受け止めてもらえたこと、『気を付ける』と言ってもらえたことで、さっきまで確かに胸にあったはずのトゲトゲした気持ちはあっというまになくなってしまった。
「機嫌は治ったかな? 奥さん」
目を細めて尋ねる彼に、可奈子はこくんと頷く。
「ん、じゃあ行こうか」
先を行く彼の背中を見つめながら、彼との距離が一歩近づいたような気がした。
小さく手を振る里香に別れを告げて、空港に降り立った可奈子の胸はわくわくと踊り出す。これから一週間の滞在中は総司とふたりずっと一緒にいられるのだ。
結婚しているとはいえ、お互いに忙しくする中で、こんなにたくさんの時間を一緒に過ごせるのははじめてのことだった。
でも出国手続きを終えてロビーに出たふたりを待ち受けていたのは、ちょっとしたハプニングだった。
荷物を総司に任せて手洗いに行き戻ってきてみると、彼が他社のCAと思しき女性ふたり組に声をかけられていたのである。
「あの、NANA・SKYの機長さんですよね」
「……はい、そうですが」
「やっぱり。成田でよくお見かけするなと思いまして、今日はプライベートで来られたんですか?」
「ええ、そうです」
可奈子は彼らに近寄るが、ふたりは可奈子を総司の連れだとは思っていないのだろう。会話を続けている。ふたりは「ラッキーじゃん」などと囁き合ってから、また総司に問いかける。
「えーと……どなたかと、ご一緒なんですか?」
総司が答えた。
「ええ、家族旅行です」
なにもおかしくはその言葉に、可奈子はなぜかムッとする。
家族旅行。
確かにそれはそうだけど……。
と、その時。
「可奈子」
総司が可奈子に気が付いた。そして女性たちに「それじゃ、すみません」と断ってから、可奈子のところへやってくる。
女性たちは残念そうにため息をついて去っていった。
「行こうか、タクシー乗り場は確かあっちだ」
そう言う彼に頷いて可奈子は彼についていく。なんだか胸がもやもやとした。
彼が女性から声をかけられやすいことくらいは知っている。勤務中に他社のCAに食事に誘われているのを見たとしょっちゅう先輩たちが騒いでいた。
だからなにを今更と思わなくもないけれど、実際に目にするとやっぱり気持ちのいいものではない。
これから一週間は誰の目も気にせずに彼をひとりじめできるのだと、わくわくしていたのに、その気持ちに水をさされたような気分だった。
しかも総司が家族旅行だなんて曖昧なことを言うものだから……。
「可奈子? どうしたんだ?」
可奈子の様子に気が付いて、総司が立ち止まって問いかける。
可奈子はハッとして足を止めた。
「え? う、ううん、なんでもない」
ムカッときたのは事実だが、まさかそれをそのまま言うわけにはいかない。声をかけられたのは彼のせいではないし、間違ったことを言ったわけではないのだから。
「行こう」
ごまかすように明るく言うがそれで総司は納得しない。難しい表情になって先を行こうとする可奈子の前に立ちはだかった。
「ダメだ。可奈子の"なんでもない"は信用できない」
「総司さん……」
「思ってることはなんでも言うって約束したじゃないか」
「でも」
うつむいて可奈子は黙り込んだ。
確かにそう約束した。でもいくらなんでもこんなくだらないことを口にするべきではないだろう。
なんて子供っぽいやつなんだときっと呆れられてしまう。
「……夫婦でもなにもかも言う必要はないと思う。言わない方がいいことだってあるわ」
可奈子が言うと総司が頷いた。
「確かにそうだ。だがそれが可奈子が我慢しなくてはならないことならば、言ってほしい。言うだけで何か変わるかもしれないだろう?」
「すごくくだらないことだもの」
「でも可奈子にとっては大事なことなんだろう? 大丈夫、言ってごらん?」
優しい彼の声音に可奈子の決心はぐらぐら揺れる。でもやっぱり言えなかった。
「が、我慢っていうほどのことではないわ。変な態度をとってごめんなさい」
うつむいたままそう言うと、総司がため息をついた。
「……わかった」
ようやく納得してもらえたと安堵かけて、可奈子の肩がぎくりとする。
総司がにっこりと不自然なくらいに優雅に微笑んでいるからだ。
「そ、総司さん……?」
なんだかとても嫌な予感がする。
この笑顔、いつかの夜に見たような……。
恐る恐る呼びかける可奈子に、総司がにっこりとしたまま口を開いた。
「可奈子にはまだ練習が必要だな」
「え? れれれ、練習……?」
これまたいつかの夜を彷彿とさせられるワードだった。
「そうだ。まだ可奈子は俺に遠慮があるみたいだから、ちゃんと気持ちを言えるようになるためにもう少し練習する必要がありそうだ」
「え……ええ⁉︎」
「妻にできないことがあるなら、できるまで付き合うのが夫の役目だ」
なにやら不穏な言葉を口にして、総司は相変わらず胡散くさいくらいににこやかな笑みを浮かべている。
「幸いこれから一週間はずっと一緒にいられるんだ。時間はいくらでも……」
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って……!」
慌てて可奈子はストップをかけた。
彼の言う練習の意味を可奈子は嫌というほど知っている。もちろんあれがつらいいうわけではないけれど、"時間はいくらでもある"と言われてしまうと、いくらなんでも……。
「い、言います! 言います!」
総司が首を傾げて、先を促した。
「えっと……」
可奈子は考えながら口を開いた。
「さっき総司さん、他の航空会社の女の人に声をかけられていたでしょう? ……それが少し嫌だった」
「なるほど」
「総司さんが女性に誘われやすいっていうのは知ってる。私が入社した時から先輩たちが言ってたもん。だからいつもならなんにも思わないの。でも今は、仕事中じゃないのになって思ったらもやもやしちゃったの。それに総司さんが……」
そこまで言って可奈子はチラリと彼を見る。
総司が眉を上げた。
「俺が?」
「か……家族旅行だなんて言うから……」
可奈子の言葉に、総司はだからなんだというように瞬きをしている。それが憎らしくて、可奈子はムッとして呟いた。
「ちゃんと新婚旅行だって言ってほしかったの!」
すると彼は一瞬不意を突かれたような表情になる。そして次の瞬間破顔した。
「そういうことか!」
「そういうことです……」
下心ありで声をかけてくる人たちに、きっぱりはっきり"妻がいる"と言ってほしかったなどという子供っぽい主張をついに口にしてしまったと、可奈子は眉を下げる。
総司の方は心底嬉しそうにしている。
「可愛いな、可奈子は」
「か、可愛いって……!」
可奈子は頬を膨らませた。
「可愛いよ。それに嬉しい。こんな可愛いやきもちなら、いくらでも大歓迎だ」
「もう……」
「なんにせよ。次からは気を付けるよ」
そう言って頭を撫でる総司を見つめながら、可奈子は胸に不思議な気持ちが広がっていくのを感じていた。
ちょっとした不満や不安なんて口するべきじゃない。伝えて総司に嫌われるくらいなら黙っている方がいいと思っていた。
その方が夫婦としてうまくいくはずと。
でも勇気を出して伝えてみたら、こんな風に思いがけない反応が返ってくることもあるのだ。
言ったところで状況としてはなにも変わらない。
これからも彼は声をかけられ続けるだろう。
それでも、こうやって彼に柔らかく受け止めてもらえたこと、『気を付ける』と言ってもらえたことで、さっきまで確かに胸にあったはずのトゲトゲした気持ちはあっというまになくなってしまった。
「機嫌は治ったかな? 奥さん」
目を細めて尋ねる彼に、可奈子はこくんと頷く。
「ん、じゃあ行こうか」
先を行く彼の背中を見つめながら、彼との距離が一歩近づいたような気がした。