敏腕パイロットは純真妻を溢れる独占愛で包囲する
福岡での出会い
可奈子が総司とはじめて話をしたのは、さかのぼること一年前。福岡でのことだった

「あ、降ってきちゃった」

ホテルを出て、目的地に向かうため街路樹が並ぶ歩道を歩いていた可奈子は、ぽつりと頬に雫があたるのを感じて呟いた。

とっぷりと日が沈んだ夜の街は、ネオンが輝いている。

そういえば昼間博多の街を散策している時からずっと空はどんよりと曇っていた。

「どうしようかな」

ため息をついてそのまま少し考える。

今はそれほどでもないが、そのうち強く降るだろう。

ホテルに戻るには少し距離があるから、その辺りのコンビニでビニール傘を買う必要がありそうだ。

でも土地勘がないからコンビニがどこにあるのかがさっぱりわからなかった。

とりあえず地図アプリで場所を確認しようと可奈子が携帯を取り出した時、大きな黒い傘が自分を雨から守るように広がっていることに気が付いた。

 傘を手にしているのは背の高い男性だ。

 ぎょっとして、可奈子は咄嗟に身を引こうとする。でもすぐに、「あ」と声を漏らし思い留まった。傘を広げている男性に見覚えがあるからだ。

「……え……? き、……如月さん?」

 株式会社NANA・SKYきってのエリートパイロット如月総司だった。

 同じ会社に勤務しているとはいえ話をしたこともない人物の思わぬ登場に、可奈子の頭と身体はフリーズする。

 彼は、仕事中のパイロットの制服姿ではなくラフなシャツとジャケット姿だが、その整った容姿と存在感は空港にいる時となにも変わらない。OLと思しき女性たちがすれ違いざまたにチラリと意味深な視線を送っていた。

 総司が微笑んだ。

「驚かせてしまったかな。雨に濡れていたから、つい。君は、伊東さんだね」

『いつ聞いても如月さんの機内アナウンス、聞き惚れちゃうよね』とCAたちに噂されているのが納得の、落ち着いた低い声で彼は可奈子に確認をする。

 可奈子は、その問いかけにポカンとしたまま答えられなかった。自分の名前を呼ばれたことに驚いたからだ。

 彼の方は社内の有名人だから、可奈子が知っているのは当然だ。でもその逆は……。

 なにも答えない可奈子に、総司が首を傾げた。

「違ったかな?」

「い、いえ、そうです。伊東です」

 可奈子は慌てて頷いた。

「よかった。でもどうして福岡(ここ)に?」

 彼の疑問はもっともだ。

この時間に福岡にいるということは、彼はおそらく今夜は福岡泊まりなのだろう。
パイロットの勤務体制ならよくあることだ。
でも可奈子はグランドスタッフだから、基本的には勤務地以外の都市へ仕事で行くことはない。
福岡にいるのを不思議がられるのは当然だ。

「ええ、まぁ、ちょっと……」

どぎまぎしながら可奈子は明言を避ける。

この状況、とても居心地が悪かった。

もしも今ここにいるのが可奈子ではなく他のグランドスタッフだったとしたら、きっと天にも昇る心地だろう。

偶然にでも社内の王子様と話ができて、しかも名前まで呼んでもらえたのだから。
でも可奈子はそうは思わない。

 
自分の肩が濡れるのも気にせずに可奈子の方へ傘を差し出している彼から目を逸らし、見える範囲にコンビニはないかと視線を彷徨わせた。さっさと傘を買って、目的地に向かいたい。

その可奈子にまた総司から声がかかる。

「目的地まで送るよ。駅?」

 可奈子はまたもやぎょっとして視線を彼に戻す。

背の高い彼は優しげな眼差しで可奈子を見下ろしている。どこか優雅にも思えるその姿は、社内で王子様と呼ばれているのも納得だった。しかもただ同じ会社だというだけの可奈子にこんなも親切にしてくれるのだ。
すぐ近くで働いているCAたちが夢中になるのも無理はない。
 
でも可奈子は違っていた。
放っておいてくれたらよかったのにと思うくらいだ。
 
礼儀として口元に笑みを浮かべ、首を横に振る。

「大丈夫です。その辺のコンビニで傘を買いますから」

「そう? コンビニならあっちの信号を渡った先にあるけど」

言いながら彼は大通りに視線を送る。
勤務の都合上パイロットが地方に泊まるのはしょっちゅうだから、土地勘があるようだ。

「案内しよう」

「え⁉︎ だ、大丈夫です。ひとりで行きます!」

 反射的に、やや強く拒否をしてしまう。でも総司は引き下がらなかった。

「雨が強くなってきた。走っていっても相当濡れるよ」

「私、足速いんです」

「だが」

「本当に大丈夫です」

 すると総司が口の中でなにやら意味深なことを呟く。

「…………噂通りだな」

「え?」

「いや、なんでもない」

 そして小さくため息をついて、また口を開いた。

「放っておけず声をかけたのは俺だが、ここまで関わっておいて君が濡れるとわかっているのにこのまま行かせるのは寝覚が悪い。俺と一緒に歩くのは嫌かもしれないが、コンビニまでそう遠くはないから付き合ってもらえるとありがたい」

 の少し困ったような眼差しに、可奈子はハッとして口を噤む。
彼は本当に親切で言ってくれているのに、可奈子の対応はいくらなんでも失礼すぎだ。


 それに可奈子は彼と一緒に歩くのが嫌だというわけではない。
 ついいつものクセで、反射的に拒否をしてしまっただけなのだ。冷静になって考えたら、可奈子の中のこだわりは、彼にはまったく関係がない。

「あの……」

 急に申し訳ない気持ちになってしまって恐る恐る口を開くと、総司が優しげな眼差しでそんな可奈子を見つめている。その中に可奈子を警戒させるものは一ミリも浮かんではいなかった。

「じゃあ……、お願いします」
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