敏腕パイロットは純真妻を溢れる独占愛で包囲する
雨が降りしきる歩道を大通り目指して歩きながら、妙なことになってしまったな、と可奈子は考えていた。
はじめて話をしたけれど、噂通り彼はカッコよくて紳士的でいい人だった。後で同僚に話したらきっと羨ましがられるだろう。
でもなんと言っても彼はパイロットなのだ。その彼と一緒にいることが、可奈子にとってはありがたくない状況だ。
そもそも可奈子はパイロットという職業に苦手意識を持っている。
普通なら憧れの対象になるべき職業の人たちと、なるべく関わりたくないと考えていた。
航空会社に勤めていながら、可奈子をそうさせている原因は、可奈子の生い立ち……父親にある。
可奈子の父親は、NANA・SKYとは別の航空会社のパイロットだった。仕事柄留守にすることは多かったが、家にいる時はたくさん遊んでくれる可奈子にとっては優しい父親だった。
可奈子は父が大好きで、小さな頃は膝に乗って雲の上を飛ぶ話をしてほしいとせがんだものだ。そしていつも父の帰りを待ち侘びた。
その父と母が離婚したのは、可奈子が高校生になってすぐ。子供の目からは仲睦まじく見えていたから、可奈子は大きなショックを受けた。しかも別れの理由が、父の女性関係だというのだから尚更だった。
パイロットとして世界中を飛び回っていた父は、たびたびステイ先で羽目を外し母を悲しませていたのだという。その母の堪忍袋の尾が切れたのだ。
『可奈子、ごめんな』
心底反省したように言って家を出ていく父に可奈子はなにも答えなかった。
パイロットである父を尊敬していた分、その職を利用して母を裏切っていた父がどうしても許せなかった。
『パイロットなんてモテる職業なんだから、浮気の一度や二度あるだろう。パイロットと結婚したんだからそのくらいは覚悟していないと』
離婚を報告した母に祖父が言っていた言葉に、可奈子はこだわり続けている。
モテる職業だから浮気を覚悟しなければならないというのなら、自分の結婚相手は絶対にパイロットは嫌だった。
そしてその可奈子のこだわりは、NANA・SKYへ入社してさらに強くなっていった。
入社してからの三年間で、幾度となくパイロットから声をかけられたからだ。
華やかで美しいCAたちならともかく、地味で目立たない可奈子にまで声をかけるなんて、パイロットという職業の人たちはどれだけ見境がないのだろう。やっぱり彼らは女性関係が派手なのだ。
きっと父もこうやって母を悲しませたのだ。
いつしか可奈子は"パイロットに誠実な人はいない"とまで考えるようになっていた。
「これから夜ご飯でも食べにいくの?」
隣を歩く総司が、前方に見える大通りのネオンを見つめながら、可奈子に問いかける。
可奈子はぎこちなく頷いた。
「……はい」
そしてうつむいたまま、気まずい思いで当たり障りのない言葉を口にする。
「如月さんは、福岡にステイですか」
「ああ、俺も食事に出たところなんだ」
「そうなんですね、おつかれさまです」
そのまま、次に言うべき言葉を見つけられずに黙り込む。
早くコンビニに着かないかなという考えで頭の中がいっぱいだ。
そもそも可奈子はべつに彼がパイロットでなくたって、同じように気まずい思いをしただろう。
男性と並んで歩くということ自体にまったく慣れていないのだ。
父のことが尾を引いて、学生時代は恋愛から遠ざかっていた。
社会人になってからはさすがにこのままではまずいと思い、本社社員との合コンなどに参加するようにはしているが、結果はあまり芳しくない。
男性とふたりきりになると、なにを話していいのかさっぱりわからなくなるのだ。
一方で、総司の方は慣れた様子で平然と話し始めた。
「伊東さんは福岡はよく来るの?」
「い、いえ。はじめてです」
「そう、いいところだよ。美味しい物がたくさんある」
なぜ可奈子が福岡にいるのかという理由には深く踏み込まずに話し続ける総司に、可奈子はホッとして相槌を打った。
「そうなんですね」
実はこのようなシチュエーションは、何度か経験があった。可奈子は休みの日によくこうやってひとり旅をしているからだ。
NANA・SKYには、自社の運航する航空便で空席がある場合、社員は無料で搭乗できる制度がある。
普通なら気軽には行けないような遠い場所でも、この制度を利用すれば訪れることができるのだ。観光するというよりは、その地の名産といわれている美味しい物を食べるのが好きで可奈子はよくこの制度を利用していた。
由良と予定が合う時は一緒に行くこともあるけれど、同期だから基本的に休みはバラバラでほとんどがひとり旅だ。
日帰りの時も多いけれど泊まる時は割引になる自社系列のホテルを使うから、こうやって自社の誰かと顔を合わせることも珍しくはない。
そしてそれが若いパイロットだと、なぜここにいるのか、どこへ行くのかとしつこく尋ねられ、ひとりなら一緒に食事をしないかと誘われるのだ。
べつに食事をするくらい、同じ会社の人間としてなんでもないことくらいはわかっている。彼らも軽い気持ちで誘っているに過ぎないだろう。
でもパイロットがステイ先で女性と食事に行くという行為自体に、父が母を悲しませたことを彷彿とさせられて、可奈子は一度もその誘いに頷いたことはなかった。
「大通りを超えた先に、よく行く店があってね。福岡でステイの時は大抵そこへ行くんだよ」
総司の言葉に頷きながら、今さら可奈子は少し恥ずかしい気持ちになる。冷静に考えてみれば、総司が他のパイロットのように可奈子を誘うことなどありえないと気が付いたからだ。
彼がどういう人物なのかは、噂でしか知らないがとにかく女性にモテることは間違いない。可奈子を食事に誘う必要などまったくない。
「どんなお店なんですか?」
過剰反応してしまった失態を取り戻そうと、可奈子は彼に問いかける。とにかくコンビニに着くまでは愛想よくしていよう。
「もつ鍋の店なんだ。ひとりでも気軽に行けるところが気に入っていてね」
「へぇ、いいなぁ……でも、おひとりなんですか?」
可奈子は思わずそう反応する。社内ではダントツの人気を誇る彼がひとりだということが意外だった。
総司が眉を上げた。
「あ、いえなんでもありません」
慌てて取り繕うと、総司がフッと笑みを漏らした。
「ステイの時の夕食はたいていひとりなんだ」
そういえば、ステイの時はCAとパイロットは連れ立って食事に行くこともあるけれど、総司はいくら誘っても来ないと、CAたちが愚痴をこぼしていたような。
だとしたら、彼には誰か特別な人がいるのだろうか。その人に、誠実でありたいと思っている?
もちろん可奈子には関係のない話だけれど。
「ひとりで食事なんて、寂しいやつだと思った?」
あれこれ考えて、黙り込んだ可奈子に総司が少し戯けて問いかける。
可奈子は慌てて言い訳をした。
「え? そ、そんなこと思ってないです! えーと、ひとりの方がリラックスできますよね。わかります、私もこれからひとりで食事ですし」
言いながら一瞬しまったという思いが頭をよぎる。過去、パイロットに声をかけられた際、ひとりだと知られると必ず食事に誘われたからだ。でもすぐに、相手は総司なのだから大丈夫だと思い直した。
「わかってもらえて嬉しいよ」
総司がそう言って微笑んだ。
可奈子はホッと息を吐く。やっぱり彼は他のパイロットとは違う。
そしてすっかり安心したら、今度は彼の言うよく行く店という方に興味が湧いた。
はじめて話をしたけれど、噂通り彼はカッコよくて紳士的でいい人だった。後で同僚に話したらきっと羨ましがられるだろう。
でもなんと言っても彼はパイロットなのだ。その彼と一緒にいることが、可奈子にとってはありがたくない状況だ。
そもそも可奈子はパイロットという職業に苦手意識を持っている。
普通なら憧れの対象になるべき職業の人たちと、なるべく関わりたくないと考えていた。
航空会社に勤めていながら、可奈子をそうさせている原因は、可奈子の生い立ち……父親にある。
可奈子の父親は、NANA・SKYとは別の航空会社のパイロットだった。仕事柄留守にすることは多かったが、家にいる時はたくさん遊んでくれる可奈子にとっては優しい父親だった。
可奈子は父が大好きで、小さな頃は膝に乗って雲の上を飛ぶ話をしてほしいとせがんだものだ。そしていつも父の帰りを待ち侘びた。
その父と母が離婚したのは、可奈子が高校生になってすぐ。子供の目からは仲睦まじく見えていたから、可奈子は大きなショックを受けた。しかも別れの理由が、父の女性関係だというのだから尚更だった。
パイロットとして世界中を飛び回っていた父は、たびたびステイ先で羽目を外し母を悲しませていたのだという。その母の堪忍袋の尾が切れたのだ。
『可奈子、ごめんな』
心底反省したように言って家を出ていく父に可奈子はなにも答えなかった。
パイロットである父を尊敬していた分、その職を利用して母を裏切っていた父がどうしても許せなかった。
『パイロットなんてモテる職業なんだから、浮気の一度や二度あるだろう。パイロットと結婚したんだからそのくらいは覚悟していないと』
離婚を報告した母に祖父が言っていた言葉に、可奈子はこだわり続けている。
モテる職業だから浮気を覚悟しなければならないというのなら、自分の結婚相手は絶対にパイロットは嫌だった。
そしてその可奈子のこだわりは、NANA・SKYへ入社してさらに強くなっていった。
入社してからの三年間で、幾度となくパイロットから声をかけられたからだ。
華やかで美しいCAたちならともかく、地味で目立たない可奈子にまで声をかけるなんて、パイロットという職業の人たちはどれだけ見境がないのだろう。やっぱり彼らは女性関係が派手なのだ。
きっと父もこうやって母を悲しませたのだ。
いつしか可奈子は"パイロットに誠実な人はいない"とまで考えるようになっていた。
「これから夜ご飯でも食べにいくの?」
隣を歩く総司が、前方に見える大通りのネオンを見つめながら、可奈子に問いかける。
可奈子はぎこちなく頷いた。
「……はい」
そしてうつむいたまま、気まずい思いで当たり障りのない言葉を口にする。
「如月さんは、福岡にステイですか」
「ああ、俺も食事に出たところなんだ」
「そうなんですね、おつかれさまです」
そのまま、次に言うべき言葉を見つけられずに黙り込む。
早くコンビニに着かないかなという考えで頭の中がいっぱいだ。
そもそも可奈子はべつに彼がパイロットでなくたって、同じように気まずい思いをしただろう。
男性と並んで歩くということ自体にまったく慣れていないのだ。
父のことが尾を引いて、学生時代は恋愛から遠ざかっていた。
社会人になってからはさすがにこのままではまずいと思い、本社社員との合コンなどに参加するようにはしているが、結果はあまり芳しくない。
男性とふたりきりになると、なにを話していいのかさっぱりわからなくなるのだ。
一方で、総司の方は慣れた様子で平然と話し始めた。
「伊東さんは福岡はよく来るの?」
「い、いえ。はじめてです」
「そう、いいところだよ。美味しい物がたくさんある」
なぜ可奈子が福岡にいるのかという理由には深く踏み込まずに話し続ける総司に、可奈子はホッとして相槌を打った。
「そうなんですね」
実はこのようなシチュエーションは、何度か経験があった。可奈子は休みの日によくこうやってひとり旅をしているからだ。
NANA・SKYには、自社の運航する航空便で空席がある場合、社員は無料で搭乗できる制度がある。
普通なら気軽には行けないような遠い場所でも、この制度を利用すれば訪れることができるのだ。観光するというよりは、その地の名産といわれている美味しい物を食べるのが好きで可奈子はよくこの制度を利用していた。
由良と予定が合う時は一緒に行くこともあるけれど、同期だから基本的に休みはバラバラでほとんどがひとり旅だ。
日帰りの時も多いけれど泊まる時は割引になる自社系列のホテルを使うから、こうやって自社の誰かと顔を合わせることも珍しくはない。
そしてそれが若いパイロットだと、なぜここにいるのか、どこへ行くのかとしつこく尋ねられ、ひとりなら一緒に食事をしないかと誘われるのだ。
べつに食事をするくらい、同じ会社の人間としてなんでもないことくらいはわかっている。彼らも軽い気持ちで誘っているに過ぎないだろう。
でもパイロットがステイ先で女性と食事に行くという行為自体に、父が母を悲しませたことを彷彿とさせられて、可奈子は一度もその誘いに頷いたことはなかった。
「大通りを超えた先に、よく行く店があってね。福岡でステイの時は大抵そこへ行くんだよ」
総司の言葉に頷きながら、今さら可奈子は少し恥ずかしい気持ちになる。冷静に考えてみれば、総司が他のパイロットのように可奈子を誘うことなどありえないと気が付いたからだ。
彼がどういう人物なのかは、噂でしか知らないがとにかく女性にモテることは間違いない。可奈子を食事に誘う必要などまったくない。
「どんなお店なんですか?」
過剰反応してしまった失態を取り戻そうと、可奈子は彼に問いかける。とにかくコンビニに着くまでは愛想よくしていよう。
「もつ鍋の店なんだ。ひとりでも気軽に行けるところが気に入っていてね」
「へぇ、いいなぁ……でも、おひとりなんですか?」
可奈子は思わずそう反応する。社内ではダントツの人気を誇る彼がひとりだということが意外だった。
総司が眉を上げた。
「あ、いえなんでもありません」
慌てて取り繕うと、総司がフッと笑みを漏らした。
「ステイの時の夕食はたいていひとりなんだ」
そういえば、ステイの時はCAとパイロットは連れ立って食事に行くこともあるけれど、総司はいくら誘っても来ないと、CAたちが愚痴をこぼしていたような。
だとしたら、彼には誰か特別な人がいるのだろうか。その人に、誠実でありたいと思っている?
もちろん可奈子には関係のない話だけれど。
「ひとりで食事なんて、寂しいやつだと思った?」
あれこれ考えて、黙り込んだ可奈子に総司が少し戯けて問いかける。
可奈子は慌てて言い訳をした。
「え? そ、そんなこと思ってないです! えーと、ひとりの方がリラックスできますよね。わかります、私もこれからひとりで食事ですし」
言いながら一瞬しまったという思いが頭をよぎる。過去、パイロットに声をかけられた際、ひとりだと知られると必ず食事に誘われたからだ。でもすぐに、相手は総司なのだから大丈夫だと思い直した。
「わかってもらえて嬉しいよ」
総司がそう言って微笑んだ。
可奈子はホッと息を吐く。やっぱり彼は他のパイロットとは違う。
そしてすっかり安心したら、今度は彼の言うよく行く店という方に興味が湧いた。