敏腕パイロットは純真妻を溢れる独占愛で包囲する
「福岡と言えばもつ鍋ですよね。有名なお店なんですか」
食べ歩きを趣味としている者としては、どんな店か聞いてみたい。さらによさそうな店なら、今度行ってみたかった。
「有名……ではないだろうな。大将がひとりで切り盛りしてるんだが、グルメサイトとかガイドブックの類は断ってるって言ってたから。なんなら看板も出ていない。常連客しか入れない店なんだ。もちろん味は折り紙つきだよ」
「へぇ……」
看板も出ていない、常連客しか入れない店という話に可奈子はますます興味をそそられる。
ガイドブック頼りの食べ歩き初心者としては、いつかは全国各地の隠れた名店を行きつけにするのに憧れている。
ぜひ今度行ってみたいと思うけれど、看板も出ていないというなら、ひとりで行くのは無理だろう。少し残念だ。
今度は総司が可奈子に問いかけた。
「伊東さんはもう店は決まってるの?」
「えーと、私はまだです。その辺を見て回ってから決めようかと思っていまして……ガイドブックには、あっちの通りに飲食店が並んでるって書いてあったから行ってみようかと思っているんです」
「たしかにあっちは賑やかだな。飲食店もたくさんある。なににするか決めてるの?」
「それもまだ……。福岡といえばもつ鍋ですけどひとりだと入りにくいですし、ラーメンか……」
福岡の名物を挙げながら可奈子はチラリと彼を見る。これからもつ鍋を食べに行く彼を羨ましいと思ったからだ。
気楽なひとりの食べ歩きで、不便なところがこれだった。
この世には美味しいけれど、ひとりでは食べに行きにくいメニューがたくさん存在する。俗に言う知る人ぞ知る隠れた名店は、女性がひとりで入るのは勇気がいる場合がほとんどだ。
今回可奈子は、福岡に来ると決めて早々にもつ鍋は無理だと諦めた。
すっごく食べたいけれど、今度由良と一緒に来る時までお預けだ。でもやっぱり食べたかったから、ひとりで行ける気楽な店を知っていて、今から行くという彼が羨ましい。
なんとなく今日はラーメンかなと納得していたはずなのに、もはやそれでは物足りない気分だった。
「本当はもつ鍋が食べたかったんですけどね……」
思わず本音が漏れてしまう。
総司がくすりと笑みを漏らした。
「たしかにもつ鍋はひとりでは行きにくいかな。俺もひとりで行くのは今から行く店だけだ」
「長く通ってらっしゃるんですか」
「ああ、航空大学の先輩に紹介してもらって行くようになったんだが、いい店だよ。締めのラーメンが最高だ」
「ラーメンですか? いいなぁ」
可奈子の口からまた素直な言葉が出る。
なんだか変な気分だった。
いつもの可奈子だったら考えられないけれど、このまま彼がその店に一緒に行かないかと誘ってくたらいいのにという思いが頭に浮かんだからだ。
彼の話すお店も、もつ鍋もすっごく魅力的だ。
もちろん彼は、ついさっきステイの時の食事はひとりだと言っていたのだから、そんなことはありえないのだが。
「まあ、お世辞にもお洒落な店とは言い難いんだけど。……あ、こんなこと言ったら大将にどやされるな」
そう言って彼は少しいたずらっぽい笑みを浮かべる。
その彼に、可奈子の胸がドキンと跳ねた。
空港での彼は遠巻きに見ていても、いつも堂々としていて冷静沈着、どこか人間離れしているようにすら思えるくらいの人物だ。まさかこんな風に気楽に話ができる相手だとは思わなかった。
社内の誰もが憧れる人の素顔を、思いがけず垣間見たような気がして可奈子の心は浮き立った。
「い、意外です」
どぎまぎしてしまっているのをごまかしたくて可奈子は急いで口を開いた。
「如月さんが行くお店って、高級でお洒落なところばかりだっていうイメージだったから」
「高級な?」
「そ、そうです。えーと、ホテルの最上階のバーとか、会員制のレストランとか。ライトアップされたプールが見えるテラス席で黒いスーツの人がカクテルを持ってきて……」
思いつくままに勝手な想像を口にする可奈子に、総司が噴き出した。
「どんなイメージだ!」
そしてそのまま、肩を揺らしてくっくと笑い続ける。その彼の笑顔に、可奈子の目は釘付けになってしまう。胸のドキドキは大きくなるばかりだった。
「き、如月さんは、私たちにとっては雲の上の人ですから」
頬を染めて口の中でモゴモゴ言うと、笑いながら彼は応えた。
「なんか期待に添えなくて申し訳ない気分だな」
「そ、そんなことはないですけど。でも、よく考えたらそうですよね、そんなわけありませんよね。普通の日の食事なんだから……」
「ステイの時に行く店はだいたい決まっているけど、どれも今から行く店と同じような気楽な店ばっかりだよ。プールもないし、黒服はいない……」
そう言ってくっくと笑い続けるものだから、可奈子のドキドキはなかなか治らなかった。
「か、海外にも決まったお店があるんですか?」
パイロットとは関わらないと決めてるはずなのに、もっと話を聞きたくなって、可奈子はさらに問いかける。
いつものこだわりが全然気にならないのは、きっと思いがけず目にしてしまった彼の笑顔と気さくな人柄のせいだろう。
「ああ、だいたいはコーパイ時代に先輩に連れていってもらって、そこがそのまま行きつけになったって感じだな」
「世界中に気軽に行けるお店があるなんて、いいなぁ」
華の都パリのレストランや、スペインのバル、イタリアの家庭的な食堂なんかが頭に浮かんで可奈子は思わず笑顔になる。
さすがにひとりの気楽な食べ歩きで、海外にまでは行ったことはなかった。
「パイロットの役得だね」
「ですね。ちなみに如月さんのおすすめは……」
わくわくと胸が踊るのを感じながら可奈子はさらに尋ねようとする。
でもそこど彼が足を止めたことに気が付いて口を噤んだ。
いつのまにかコンビニに到着してしまっている。
立ち止まり背の高い彼を見つめながら、可奈子は胸の中のわくわくが急速に萎んでいくのを感じていた。不思議な気分だった。
ついさっきは、あんなに長いと感じていたコンビニまでの道のりが、あっという間だったからだ。
しかも着いてしまったことをこんなにも残念に思っている。
「伊東さん?」
黙り込んだ可奈子に、彼が首を傾げている。
可奈子はハッとして、慌てて頭を下げた。
「あ、ありがとうございました」
「ん、気を付けて」
その言葉にもう一度頭を下げてから、可奈子はくるりと踵を返す。そしてそのままコンビニへ駆け込んだ。
食べ歩きを趣味としている者としては、どんな店か聞いてみたい。さらによさそうな店なら、今度行ってみたかった。
「有名……ではないだろうな。大将がひとりで切り盛りしてるんだが、グルメサイトとかガイドブックの類は断ってるって言ってたから。なんなら看板も出ていない。常連客しか入れない店なんだ。もちろん味は折り紙つきだよ」
「へぇ……」
看板も出ていない、常連客しか入れない店という話に可奈子はますます興味をそそられる。
ガイドブック頼りの食べ歩き初心者としては、いつかは全国各地の隠れた名店を行きつけにするのに憧れている。
ぜひ今度行ってみたいと思うけれど、看板も出ていないというなら、ひとりで行くのは無理だろう。少し残念だ。
今度は総司が可奈子に問いかけた。
「伊東さんはもう店は決まってるの?」
「えーと、私はまだです。その辺を見て回ってから決めようかと思っていまして……ガイドブックには、あっちの通りに飲食店が並んでるって書いてあったから行ってみようかと思っているんです」
「たしかにあっちは賑やかだな。飲食店もたくさんある。なににするか決めてるの?」
「それもまだ……。福岡といえばもつ鍋ですけどひとりだと入りにくいですし、ラーメンか……」
福岡の名物を挙げながら可奈子はチラリと彼を見る。これからもつ鍋を食べに行く彼を羨ましいと思ったからだ。
気楽なひとりの食べ歩きで、不便なところがこれだった。
この世には美味しいけれど、ひとりでは食べに行きにくいメニューがたくさん存在する。俗に言う知る人ぞ知る隠れた名店は、女性がひとりで入るのは勇気がいる場合がほとんどだ。
今回可奈子は、福岡に来ると決めて早々にもつ鍋は無理だと諦めた。
すっごく食べたいけれど、今度由良と一緒に来る時までお預けだ。でもやっぱり食べたかったから、ひとりで行ける気楽な店を知っていて、今から行くという彼が羨ましい。
なんとなく今日はラーメンかなと納得していたはずなのに、もはやそれでは物足りない気分だった。
「本当はもつ鍋が食べたかったんですけどね……」
思わず本音が漏れてしまう。
総司がくすりと笑みを漏らした。
「たしかにもつ鍋はひとりでは行きにくいかな。俺もひとりで行くのは今から行く店だけだ」
「長く通ってらっしゃるんですか」
「ああ、航空大学の先輩に紹介してもらって行くようになったんだが、いい店だよ。締めのラーメンが最高だ」
「ラーメンですか? いいなぁ」
可奈子の口からまた素直な言葉が出る。
なんだか変な気分だった。
いつもの可奈子だったら考えられないけれど、このまま彼がその店に一緒に行かないかと誘ってくたらいいのにという思いが頭に浮かんだからだ。
彼の話すお店も、もつ鍋もすっごく魅力的だ。
もちろん彼は、ついさっきステイの時の食事はひとりだと言っていたのだから、そんなことはありえないのだが。
「まあ、お世辞にもお洒落な店とは言い難いんだけど。……あ、こんなこと言ったら大将にどやされるな」
そう言って彼は少しいたずらっぽい笑みを浮かべる。
その彼に、可奈子の胸がドキンと跳ねた。
空港での彼は遠巻きに見ていても、いつも堂々としていて冷静沈着、どこか人間離れしているようにすら思えるくらいの人物だ。まさかこんな風に気楽に話ができる相手だとは思わなかった。
社内の誰もが憧れる人の素顔を、思いがけず垣間見たような気がして可奈子の心は浮き立った。
「い、意外です」
どぎまぎしてしまっているのをごまかしたくて可奈子は急いで口を開いた。
「如月さんが行くお店って、高級でお洒落なところばかりだっていうイメージだったから」
「高級な?」
「そ、そうです。えーと、ホテルの最上階のバーとか、会員制のレストランとか。ライトアップされたプールが見えるテラス席で黒いスーツの人がカクテルを持ってきて……」
思いつくままに勝手な想像を口にする可奈子に、総司が噴き出した。
「どんなイメージだ!」
そしてそのまま、肩を揺らしてくっくと笑い続ける。その彼の笑顔に、可奈子の目は釘付けになってしまう。胸のドキドキは大きくなるばかりだった。
「き、如月さんは、私たちにとっては雲の上の人ですから」
頬を染めて口の中でモゴモゴ言うと、笑いながら彼は応えた。
「なんか期待に添えなくて申し訳ない気分だな」
「そ、そんなことはないですけど。でも、よく考えたらそうですよね、そんなわけありませんよね。普通の日の食事なんだから……」
「ステイの時に行く店はだいたい決まっているけど、どれも今から行く店と同じような気楽な店ばっかりだよ。プールもないし、黒服はいない……」
そう言ってくっくと笑い続けるものだから、可奈子のドキドキはなかなか治らなかった。
「か、海外にも決まったお店があるんですか?」
パイロットとは関わらないと決めてるはずなのに、もっと話を聞きたくなって、可奈子はさらに問いかける。
いつものこだわりが全然気にならないのは、きっと思いがけず目にしてしまった彼の笑顔と気さくな人柄のせいだろう。
「ああ、だいたいはコーパイ時代に先輩に連れていってもらって、そこがそのまま行きつけになったって感じだな」
「世界中に気軽に行けるお店があるなんて、いいなぁ」
華の都パリのレストランや、スペインのバル、イタリアの家庭的な食堂なんかが頭に浮かんで可奈子は思わず笑顔になる。
さすがにひとりの気楽な食べ歩きで、海外にまでは行ったことはなかった。
「パイロットの役得だね」
「ですね。ちなみに如月さんのおすすめは……」
わくわくと胸が踊るのを感じながら可奈子はさらに尋ねようとする。
でもそこど彼が足を止めたことに気が付いて口を噤んだ。
いつのまにかコンビニに到着してしまっている。
立ち止まり背の高い彼を見つめながら、可奈子は胸の中のわくわくが急速に萎んでいくのを感じていた。不思議な気分だった。
ついさっきは、あんなに長いと感じていたコンビニまでの道のりが、あっという間だったからだ。
しかも着いてしまったことをこんなにも残念に思っている。
「伊東さん?」
黙り込んだ可奈子に、彼が首を傾げている。
可奈子はハッとして、慌てて頭を下げた。
「あ、ありがとうございました」
「ん、気を付けて」
その言葉にもう一度頭を下げてから、可奈子はくるりと踵を返す。そしてそのままコンビニへ駆け込んだ。